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2008. 9/20
更新 2009. 9/ 5
博奕打ち 総長賭博(第4作)
 1968年。監督 山下耕作。脚本 笠原和夫。出演 鶴田浩二、若山富三郎、藤純子。
 

◆組織と個の関係

「一家として決まったことを呑むのが、渡世人の仁義だ。
 白いもんでも黒いと云わなくちゃならねぇ

 それぐらいのこと知らねぇ、おめぇじゃねぇだろう」
「この渡世から足を洗うか、盃を返して一匹狼になるしかないんだぜ」

「こんなちっぽけな盃のために、男の意地を捨てなきゃならねぇのかい」
「これがおめえと五分の盃を交わした兄弟の盃だ。
 おめぇがどうしてもドスをひかねぇってんなら、
 俺はこいつをここで叩き割って、おめぇの向こう口に廻るぜ。
 俺の任侠道は、それしかねぇ」


「任侠道。そんなもんは俺にはねえ。俺はただのケチな人殺しだ。
そう思ってもらおう」

 
博奕打ち 総長賭博
博奕打ち 総長賭博

本作品は、鶴田浩二主演の「
博奕打ち」シリーズの一作ですが、「明治侠客伝 三代目襲名」とともに双璧をなす任侠映画の名作です。

天竜一家の跡目をめぐって起きる相克、そしてそこから生まれる悲劇が本作品の骨格となっています。

兄貴分の中井(鶴田)、松田(若山)をさしおいて、一門衆(親分の兄弟たち)の企みで石戸(名和宏)が継ぐことになります。その措置に不満な松田に向かって、中井が云うのが最初のセリフです。

さらに石戸の跡目を承服しかねる松田は、次第に一家と対立してゆくわけです。そんな松田を中井が説得させようとするのが、次のセリフです。

ここまでずっと中井は、親が決めたこと、白を黒といわれたものを守ろうとします。それが彼の任侠道です。

二代目となった石戸組長は、松田に刺され、その松田も中井に任侠道のケジメのために刺殺されてしまいます。
しかし、跡目相続の花会の寺銭を一門衆が横取りしようとすることで、石戸、中井も一家を傀儡政権としようとする一門衆の企みを知るのですが、時すでに遅く、中井は一門衆の仙波(金子信雄)を殺すしか道は、無くなってしまいます。
そのときのセリフが最後のセリフです。中井は、それまで守り続けていた任侠道を捨てざるを得なくなってしまっています。

やくざ組織は、組織を統制するため、任侠道、義理、掟といったルール、規則があります。会社組織では会社の規則、一般社会では法律や常識といったルールがあります。

基本的にそれらのルールを守らないと、各々は成立してゆきません。
しかし、時として、ルール間で矛盾が生じてしまいます。
つまり、ルール通りでは、うまく関係が廻ってゆかないこともあります。

そこで昔から組織と個との関係をどのように成立させてゆくが課題となるわけです。永遠の課題です。

解決方法は、ないというのが管理人の偽らざる本音です。しかし、それでは、本論の結論にはなりませんので、あえて付け加えます。それらの
相克関係に巻き込まれないようにする、というのが鉄則です。

任侠映画では、それらのしがらみの中で苦悩し、死地に向かわないと、物語が展開しませんので、その方向で動いてゆきます。

しかし、現実の社会で言えることは、義理と人情に生きるのも、うまく回避するのも、それぞれの人の生き方であるということです。
どちらを選ぶかは、個人の考えです。結局、結論にはならなかったでしょうか・・・

本作は、あの三島由紀夫が絶賛しています。そんなことでも有名になった作品です。
「何という絶対的肯定のなかにギリギリに仕組まれた悲劇だろう。
 しかも、劇は何とすみずみまで、あたかも古典劇のように、人間的真実に叶っていることだろう」

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