銀山平駐車場
8時過ぎに国民宿舎かじか荘の奥の林道の入り口に到着です。
ゲート手前の駐車場は、既にクルマが満杯。
しかたなく、手前の駐車場に引き返します。
こちらも5台位あったでしょうか。
管理人のクルマの前に駐車した3人の家族が先発してゆきました。
この家族とは、ずっと抜きつ抜かれつの道連れとなります。
まだ天気は優れず、晴れてくる気配もありません。
逆に雨が降り出しそうです。
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ゲートから林道へ
林道のゲートあたりは、落ち葉が敷き詰めれています。
林道の左下は、庚申川が大きな流れの音を立てて
流れているのでしょうが、
生い茂る木々が邪魔をし、眼にすることはできません。
そういえば、管理人は渓谷を歩くのも、
あまり好きではありません。
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庚申渓谷
ゲートから、15分くらい歩くと、ガードレールの傍に
「庚申渓谷」の案内板が立っていますが、
川の流れは見えません。
道標「← 一ノ鳥居 2.51Km、→ 銀山平 1.4Km」も
あります。
ここまでは、舗装路でしたが、
このあたりから砂利道に変わります。
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坑夫滝(光風滝)
光風橋を渡ると、「坑夫滝」という案内板がたっています。
しかし、渓谷を見下ろしても川の流れは見えず、
当然滝も見えません。
木々の生い茂る谷間のあたりと推測するのみ。
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見晴橋、笹美木橋
いくつかの橋が現れます。見晴橋、笹美木橋。
ようやく、このあたりで先発の家族に追いつきました。
ちょっと声をかけ、天気の話。
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天狗の投石
笹美木橋を過ぎると、右の山側一面が石だらけです。
山から落ちてきた石が、ここに集まったのでしょうか、
「天狗の投石」という案内板が立っています。
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一ノ鳥居
ゲートから、時々小雨の舞い落ち、
雨に濡れた林道を歩くこと1持間、
ようやく一ノ鳥居に到着です。
2台の折りたたみの自転車が置かれていました。
ここまで自転車で来れると楽チンかと思いましたが、
結構走りにくそうなので、かえってタイヘンでしょうか。
小雨混じりの天候は、好転するようすもなく、
このまま進んでも途中断念かもしれない、
などと躊躇している傍を先の家族が追い越してゆきます。
この家族は、この後もほとんど休まないので、
管理人は、何度か追い越されることになります。
一ノ鳥居、朱の木製の鳥居が山に向かって建っています。
これをくぐり、その先の木製の階段を歩き、山登り開始です。
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百丁目
何度か沢を渡る橋を過ぎると、
30分ほどで「百丁目」の案内板が立っており、
すぐ傍にその石標があります。
麓の磐裂神社から庚申山まで、百丁目ということらしいのですが、
案内には、「百十四丁目」と記載されており、
数字が合いません。
また、道標も立っています。
「← 一ノ鳥居 1.0Km、→ 庚申山荘 1.3Km」
先の家族がスパッツなどの雨具の装備をしており、
またまた追い越します。
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鏡岩(孝子別れの処)
「百丁目」から数分のところに大きな岩が聳えています。
鳥居からですと、40分くらい歩いたでしょうか。
「鏡岩」の案内板が立っており、説明を読むと、
なんと悲しく切ない話が書かれています。
これを知っただけでも、今回の山行は満足、
などと勝手に思い込みます。
「昔、足尾の里、中戈(さい)の猟師が庚申山に猟に行ったが、
不幸にして吹雪にあい谷底へ落ちてしまった。
登ることもできず、
凍死寸前に一頭の老いた大ザルが現れた。
猟師は
「自分をこの谷底から救い出してくれたら自分の娘を
やってもよい」
と頼んだところ、不思議にもそのサルは人語を解するのか、
喜んで同類を集め、サルばしごを作り猟師を無事に救った。
帰宅した猟師は、我身は助かったものの、
その大ザルとの約束に苦しまなければならなかった。
長女も次女もサルの妻になることを肯じなかったが、
末娘は、父の約束を果たすためサルのもとへ嫁いだ。
その後、猟師は何度も娘に会うために山へ登ったが、
ある日この岩の前で娘に会ったところ、
もう人間の姿ではなく、
父娘は涙で別れたといわれています。」
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百四丁目
さらに数分で「百四丁目」の石柱。
そして、上部が欠損した「・・六丁目」の石柱。
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夫婦蛙岩
15分ほど歩くと、
岩がふたつ重なっている岩が行く手に現れます。
「家庭円満 夫婦蛙岩」と案内があります。
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仁王門
さらに10分ほどの歩きで、
大きなふたつの岩の間を通ります。
「庚申山の守護神 仁王門」と書かれています。
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百十二丁目
今度は、「百十二丁目」の石柱。
どうも「百丁目」は本当に百丁目だったらしく、
説明が間違っていたようです。
道標あり、もうすぐです。
「← 一ノ鳥居 2.0Km、→ 庚申山荘 0.3Km」。
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青銅の剣、石碑群
「仁王門」から15分、右手に青銅の剣が立っています。
崩れかけた石段が現れ、
目の前には多くの石碑が散在しています。
石段の右の「勝道上人、大忍坊の石碑」という石碑以外は、
他は庚申講の寄進碑のようです。
石段の上には、平成20年建立といった新しいものも
ありました。
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猿田彦神社跡
石段を登った広場が猿田彦神社の跡です。
庚申山は、神護景雲元年(767年)に勝道上人によって
開山され、この場所に猿田彦神社を祀ったそうです。
しかし、昭和21年に焼失し、
いまは銀山平公園の傍に移設されているそうです。
庚申山お山巡りの案内板も立っています。
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庚申山荘
神社跡から左手の庚申山荘へ向います。
このあたり、道が不明確ですが、
建物を目指して登ると数分です。
草地の上に2階建ての庚申山荘が聳え建っています。
なかなかよい場所です。
建物の前に2組のテーブル、ベンチ。
右に水道の蛇口(といっても沢の水を引いてきたもの)と
バイオトイレ。
トイレは、果物の皮を捨てた人がおり、
使えないという貼紙がありました。
困ったものです。
ここで休憩です。
ゲートから山荘まで、2時間強かかっています。
せっかくですので、山荘の内部を拝見させていただきます。
ここは、無人の小屋です。
入り口に宿泊料金を書いた貼紙があり、
内部に黒板がありました。
そこには、モンベルのシュラフを置いておいたところ、
帰ってみると無くなっていた、
というメッセージが書かれていました。
1階の居間とおぼしきところには、
数組のザックが置かれています。
きっとザックを置いて、
身軽にして山頂を目指したのでしょうか。
2階は、布団が手摺に掛けられていました。
また例の家族が追い越して、庚申山を目指してゆくの
でしょうか。声が聞こえます。
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二ノ鳥居
山荘の前の道標は、
「← 六林班峠・天下見晴 0.8Km、右 庚申山 1.4Km」
庚申山へは、来た道を戻り、
旧山荘が建っていた場所から登ります。
二ノ鳥居があります。眼に前には大きな岩壁が聳えています。
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裏見の滝
岩場を登ってゆきますが、
岩の上から、水が滴れ落ちている場所があります。
これが裏見の滝でしょうか。
先の家族が戻ってきました。
山頂へ行ってきたのか、尋ねると、
雨上がりでもあるし、今回は途中まで、とのこと。
さてさて、天候は、晴れ間も少し見え出したのですが、
いかんせん地面や岩は濡れている。
管理人も思案しながら登ってゆきます。
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断念の岩場
「南総里見八犬伝」の案内板が立っています。
岩の間を鉄梯子や鎖を伝って登ってゆきます。
丸太を削った梯子、鉄梯子のある場所で
他のハイカーが下ってきました。
山頂まで、どのくらいか尋ねます。
帰ってきた答えは、1時間。
管理人は20分くらい登ってきたので、
残り30分くらいと思っていたところへ非情な回答・・・。
これで登頂する気持ちも萎えてしまいました。
そのハイカーは、谷間が綺麗だったという言葉と絶望感を
置き去りにしてゆきました。
ということで、雨上がりの岩山は、予感的中の3連敗です。
栃木の石裂山、群馬の子持山、そして庚申山。
雨上がりに出かけてしまい、途中断念した山々・・・
不幸なことに雨上がりに岩山に向う確率が多い。
そんなことは判っているはずなのですが・・・
しかし、鏡岩のサルと娘のせつない話で満足の一日でした。
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