庚申山 - わたらせからの風 足尾近辺の山々
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庚申山 地図へ


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足尾の庚申山は、以前から足を運ばなくては、と思いつつ、その長い林道歩きと岩山ということで先延ばしになっていました。

山頂まで、奇岩・怪石の隙間を鉄梯子や鎖場で登ってゆく山です。
標高 1892m(取材日:2009.10/4 日)

また、特別天然記念物に指定されているタヌキモ科のコウシンソウが、6月末に咲くことでも有名です。

そして、この山は、滝沢馬琴が書いた「南総里見八犬伝」の化け猫退治の場面に登場するそうです。

今回、ようやく決心して、6:30ころ自宅を出発しました。曇り空でしたが、天気予報の晴れを信じて・・・
国道122号をいつものように北上します。
なんと、花輪あたりまで来ると、俄かに驟雨!
雨上がりの岩山は、嫌だな、と思いつつも、他のバックアッププランも持ち合わせず、クルマを走らせますが、なんとなく嫌な予感です。

足尾の町の手前の庚申アンダーを左折し、銀山平を目指します。


銀山平駐車場

8時過ぎに国民宿舎かじか荘の奥の林道の入り口に到着です。
ゲート手前の駐車場は、既にクルマが満杯。
しかたなく、手前の駐車場に引き返します。
こちらも5台位あったでしょうか。

管理人のクルマの前に駐車した3人の家族が先発してゆきました。
この家族とは、ずっと抜きつ抜かれつの道連れとなります。

まだ天気は優れず、晴れてくる気配もありません。
逆に雨が降り出しそうです。

銀山平の駐車場
林道ゲート

いくつかの橋を渡る

ゲートから林道へ

林道のゲートあたりは、落ち葉が敷き詰めれています。








林道の左下は、庚申川が大きな流れの音を立てて
流れているのでしょうが、
生い茂る木々が邪魔をし、眼にすることはできません。
そういえば、管理人は渓谷を歩くのも、
あまり好きではありません。

庚申渓谷

ゲートから、15分くらい歩くと、ガードレールの傍に
「庚申渓谷」の案内板が立っていますが、
川の流れは見えません。







道標「← 一ノ鳥居 2.51Km、→ 銀山平 1.4Km」も
あります。












ここまでは、舗装路でしたが、
このあたりから砂利道に変わります。

庚申渓谷の案内

道標「← 一ノ鳥居 2.51Km、→ 銀山平 1.4Km」

林道は砂利道へ
坑夫滝(光風滝)

庚申渓谷の谷間

坑夫滝(光風滝)

光風橋を渡ると、「坑夫滝」という案内板がたっています。










しかし、渓谷を見下ろしても川の流れは見えず、
当然滝も見えません。
木々の生い茂る谷間のあたりと推測するのみ。

見晴橋、笹美木橋

いくつかの橋が現れます。見晴橋、笹美木橋。

ようやく、このあたりで先発の家族に追いつきました。
ちょっと声をかけ、天気の話。

川の流れが見える
天狗の投石

天狗の投石

笹美木橋を過ぎると、右の山側一面が石だらけです。
山から落ちてきた石が、ここに集まったのでしょうか、
「天狗の投石」という案内板が立っています。

一ノ鳥居

ゲートから、時々小雨の舞い落ち、
雨に濡れた林道を歩くこと1持間、
ようやく一ノ鳥居に到着です。

2台の折りたたみの自転車が置かれていました。
ここまで自転車で来れると楽チンかと思いましたが、
結構走りにくそうなので、かえってタイヘンでしょうか。

小雨混じりの天候は、好転するようすもなく、
このまま進んでも途中断念かもしれない、
などと躊躇している傍を先の家族が追い越してゆきます。

この家族は、この後もほとんど休まないので、
管理人は、何度か追い越されることになります。

一ノ鳥居、朱の木製の鳥居が山に向かって建っています。
これをくぐり、その先の木製の階段を歩き、山登り開始です。

一ノ鳥居

次第に山登りへ
沢を渡る

百丁目

道標「← 一ノ鳥居 1.0Km、→ 庚申山荘 1.3Km」

百丁目

何度か沢を渡る橋を過ぎると、
30分ほどで「百丁目」の案内板が立っており、
すぐ傍にその石標があります。








麓の磐裂神社から庚申山まで、百丁目ということらしいのですが、
案内には、「百十四丁目」と記載されており、
数字が合いません。










また、道標も立っています。
「← 一ノ鳥居 1.0Km、→ 庚申山荘 1.3Km」

先の家族がスパッツなどの雨具の装備をしており、
またまた追い越します。

鏡岩(孝子別れの処)

「百丁目」から数分のところに大きな岩が聳えています。
鳥居からですと、40分くらい歩いたでしょうか。

「鏡岩」の案内板が立っており、説明を読むと、
なんと悲しく切ない話が書かれています。
これを知っただけでも、今回の山行は満足、
などと勝手に思い込みます。

「昔、足尾の里、中戈(さい)の猟師が庚申山に猟に行ったが、
 不幸にして吹雪にあい谷底へ落ちてしまった。
 登ることもできず、
 凍死寸前に一頭の老いた大ザルが現れた。

 猟師は
 「自分をこの谷底から救い出してくれたら自分の娘を
 やってもよい」
 と頼んだところ、不思議にもそのサルは人語を解するのか、
 喜んで同類を集め、サルばしごを作り猟師を無事に救った。

 帰宅した猟師は、我身は助かったものの、
 その大ザルとの約束に苦しまなければならなかった。
 長女も次女もサルの妻になることを肯じなかったが、
 末娘は、父の約束を果たすためサルのもとへ嫁いだ。

 その後、猟師は何度も娘に会うために山へ登ったが、
 ある日この岩の前で娘に会ったところ、
 もう人間の姿ではなく、
 父娘は涙で別れたといわれています。」

鏡岩(孝子別れの処)

案内板
百四丁目

百六丁目?

百四丁目

さらに数分で「百四丁目」の石柱。










そして、上部が欠損した「・・六丁目」の石柱。

夫婦蛙岩

15分ほど歩くと、
岩がふたつ重なっている岩が行く手に現れます。
「家庭円満 夫婦蛙岩」と案内があります。

夫婦蛙岩
仁王門

仁王門

さらに10分ほどの歩きで、
大きなふたつの岩の間を通ります。
「庚申山の守護神 仁王門」と書かれています。

百十二丁目

今度は、「百十二丁目」の石柱。
どうも「百丁目」は本当に百丁目だったらしく、
説明が間違っていたようです。







道標あり、もうすぐです。
「← 一ノ鳥居 2.0Km、→ 庚申山荘 0.3Km」。

百十二丁目

道標「← 一ノ鳥居 2.0Km、→ 庚申山荘 0.3Km」
青銅の剣

勝道上人、大忍坊の石碑

庚申講寄進碑

青銅の剣、石碑群

「仁王門」から15分、右手に青銅の剣が立っています。













崩れかけた石段が現れ、
目の前には多くの石碑が散在しています。
石段の右の「勝道上人、大忍坊の石碑」という石碑以外は、
他は庚申講の寄進碑のようです。











石段の上には、平成20年建立といった新しいものも
ありました。

猿田彦神社跡

石段を登った広場が猿田彦神社の跡です。

庚申山は、神護景雲元年(767年)に勝道上人によって
開山され、この場所に猿田彦神社を祀ったそうです。
しかし、昭和21年に焼失し、
いまは銀山平公園の傍に移設されているそうです。





庚申山お山巡りの案内板も立っています。

猿田彦神社跡

庚申山お山巡り案内板
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庚申山荘直下

庚申山荘

1階のようす

2階のようす

庚申山荘

神社跡から左手の庚申山荘へ向います。
このあたり、道が不明確ですが、
建物を目指して登ると数分です。







草地の上に2階建ての庚申山荘が聳え建っています。
なかなかよい場所です。
建物の前に2組のテーブル、ベンチ。
右に水道の蛇口(といっても沢の水を引いてきたもの)と
バイオトイレ。
トイレは、果物の皮を捨てた人がおり、
使えないという貼紙がありました。
困ったものです。

ここで休憩です。
ゲートから山荘まで、2時間強かかっています。


せっかくですので、山荘の内部を拝見させていただきます。
ここは、無人の小屋です。
入り口に宿泊料金を書いた貼紙があり、
内部に黒板がありました。
そこには、モンベルのシュラフを置いておいたところ、
帰ってみると無くなっていた、
というメッセージが書かれていました。

1階の居間とおぼしきところには、
数組のザックが置かれています。
きっとザックを置いて、
身軽にして山頂を目指したのでしょうか。

2階は、布団が手摺に掛けられていました。

また例の家族が追い越して、庚申山を目指してゆくの
でしょうか。声が聞こえます。

二ノ鳥居

山荘の前の道標は、
「← 六林班峠・天下見晴 0.8Km、右 庚申山 1.4Km」

庚申山へは、来た道を戻り、
旧山荘が建っていた場所から登ります。






二ノ鳥居があります。眼に前には大きな岩壁が聳えています。

道標「← 六林班峠・天下見晴 0.8Km、右 庚申山 1.4Km」

二ノ鳥居

聳える岸壁
裏見の滝をくぐって

こんな岩場を登ってゆく

裏見の滝

岩場を登ってゆきますが、
岩の上から、水が滴れ落ちている場所があります。
これが裏見の滝でしょうか。

先の家族が戻ってきました。
山頂へ行ってきたのか、尋ねると、
雨上がりでもあるし、今回は途中まで、とのこと。

さてさて、天候は、晴れ間も少し見え出したのですが、
いかんせん地面や岩は濡れている。

管理人も思案しながら登ってゆきます。

断念の岩場

南総里見八犬伝」の案内板が立っています。

岩の間を鉄梯子や鎖を伝って登ってゆきます。
丸太を削った梯子、鉄梯子のある場所で
他のハイカーが下ってきました。

山頂まで、どのくらいか尋ねます。
帰ってきた答えは、1時間。
管理人は20分くらい登ってきたので、
残り30分くらいと思っていたところへ非情な回答・・・。
これで登頂する気持ちも萎えてしまいました。
そのハイカーは、谷間が綺麗だったという言葉と絶望感を
置き去りにしてゆきました。

ということで、雨上がりの岩山は、予感的中の3連敗です。
栃木の石裂山、群馬の子持山、そして庚申山。
雨上がりに出かけてしまい、途中断念した山々・・・
不幸なことに雨上がりに岩山に向う確率が多い。
そんなことは判っているはずなのですが・・・


しかし、鏡岩のサルと娘のせつない話で満足の一日でした。

「南総里見八犬伝」の案内

岩場は続く
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