大中寺 - わたらせからの風 近隣の山々
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大中寺 地図へ

栃木の南の佐野市から栃木市に向うと、すぐ近くに北に連なる山々が見えます。
太平山です。春の桜や梅雨のあじさいで有名です。また、麓には、たくさんのぶどう園があります。

大中寺は、当初真言宗の寺として久寿年間(1154〜1155)に建てられましたが、
その後、快庵妙慶禅師(かいあんみょうけいぜんし)が延徳元年(1489)に曹洞宗の寺として再建しました。

戦国時代、越後の上杉謙信は、関東管領のとき、北関東に進出し、この地も訪れています。その名残として、謙信平という地名が残されています。

ときの大中寺の6世住職快叟(かいそう)が彼の叔父であったことで、この寺を厚く保護し、永禄4年(1561)、焼失していた伽藍の修復を行いました。
そして、永禄11年(1568)、謙信が小田原の北条氏康(関東三国志とも呼ばれる一人。もう一人は、武田信玄)と和議を結んだのもこの寺です。

その後、火災で焼失しましたが、天正3年(1575)、7世天嶺呑補(てんれいどんぽ)の時代に再建、9世柏堂(はくどう)の時代の天正19年(1591)には、関東曹洞宗の僧録職を命ぜられ寺領100石を与えられました。
徳川家の信任も厚く、曹洞宗の徒弟修業の道場として栄え、大正初期まで参集する雲水でにぎわったといいます。

佐野市方面から行く場合は、
県道67号桐生岩船線を佐野市街を過ぎた下津原の交差点を左折し、県道282号通称グレープロードに入り、東に向かいます。
大平町歴史民族資料館を過ぎると、大中寺の森の標識があり、左折し、大中寺境内の駐車場へ入ります。(取材日:2009.9/10 thu)


大中寺駐車場

幹線道路から、大中寺山門に向かうと、左手に駐車場があります。






駐車場の入り口右手に太平山、大中寺の案内板が立っています。

今回は、ここにクルマを置かせていただきます。
2〜30台おけるでしょうか。
トイレやあずまやがあり、スタート地点としては、十分な場所です。

駐車場の右手の木立に包まれた道が寺への参道です。

大中寺参道と駐車場

太平山案内板
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山門

山門

参道の先の石段の上に山門が建っています。

皆川城の裏門(搦手門(からめてもん))を元和2年(1616)に
移築したものだそうです。
皆川城というのは、この南の地名が皆川というので、そこに城があったのでしょうか。

大中寺七不思議

上田秋成の「雨月物語」の青頭巾は、大中寺を舞台として書かれたものだそうです。筆者は、読んだこともなく、わかりませんが・・・
今度機会があれば、手にしてみましょう。
少なくとも、溝口健二の映画「雨月物語」には登場しなかった話です。

それ以外に、この寺には七不思議とよばれる場所があります。
それらを紹介します。案内は、本堂の右に案内板が掲げてあります。


>> 図をクリックすると拡大表示します。

本堂
油坂

油坂(図5)

まず山門をはいると、眼の前に本堂への石段があります。
しかし、石段の前に竹が渡され、通行止めとなっています。

「油坂」と呼ばれる七不思議のひとつです。

明かりをつけるために、本堂の燈明の油を盗んだ、寺の学僧が追われたとき、この石段で油をこぼし、すべり落ちたのが原因で死んでしまいました。
以後、この石段を上り下りすると災いにあうといわれ、柵を渡して通れなくしてあります。

枕返しの間(図6)

ということで、「油坂」は上れないので、その右にある石段で本堂の前にでます。

本堂の障子の右に案内があるのが「枕返しの間」。

旅人が寺に一夜の宿を乞い、この部屋で本尊の方に足を向けて寝たところ、翌朝、目が覚めると頭が本尊のほうに向いていたといいます。

残念ながら、室内を見ることはできません。

枕返しの間
根なしの藤

根なしの藤(図7)

本堂の左横の墓地の先に「根なしの藤」があります。

大中寺の開祖である快庵妙慶禅師が鬼坊主の霊を葬うため、墓標としてさした杖から成長したといわれる藤の古木です。


どうも、この話が「雨月物語」の青頭巾に中に登場する話らしいです。

不断の竈(かまど)(図4)

本堂に戻り、右に回りこんだ庫裏の中にあるのが、「不断の竈」。

ある修行僧がなまけ心から、竈の中に入って居眠りをしていたところ、それを知らない寺男が火をたきつけたため、焼け死んでしまい、以来、このようなことのないように、竈の火を絶やさなくなったといいます。

当然、いまの時代ですので、火はありません。

不断の竈
開かずの雪隠

開かずの雪隠(せっちん)(図3)

庫裏の向かい側に天蓋に覆われた、小屋のような建物があり、「開かず雪隠」です。昔は、離れにトイレ(雪隠)を建てていました。

土地の豪族、晃石太郎の妻が敵に追われて、この雪隠に逃げ込み、自害をしました。
以来、開けられることがないといわれています。

馬首の井戸(図2)

その横の山際に小さな井戸があります。
「馬首の井戸」と呼ばれます。

晃石太郎が戦いに破れ、寺へ逃げ込んだのですが、後難を恐れた住職は、彼をかくまうことしませんでした。
それを恨み、愛馬の首を切って井戸に投げ入れ、自分も切腹しました。
その後、首を投げ入れた井戸の中からは、馬のいななきが聞こえるようになったといいます。

馬首の井戸
東山一つ拍子木

東山一つ拍子木(図1)

そこから、山間を見ると案内板が立っています。
「東山一つ拍子木」と呼ばれ、寺の東のほうにある山で拍子木の音が聞こえると、必ず寺に異変が起きると伝えられ、その音は住職だけにしか聞こえないといいます。

以上、大中寺の七不思議でした。
昔から、人が多く集まることのある場所には、こういった言い伝えが残されます。従って、昔は、きっと栄えた寺であった証拠ともいえます。

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