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2010.12/20 | 「仁義なき戦い」5部作 エンディング・ナレーション 1973-74年。脚本 1-4作:笠原和夫、5作:高田宏治 |
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今回は、いつものセリフの紹介・解説から離れて、 「仁義なき戦い」5部作のエンディングに流れるナレーションを集めてみました。 1.仁義なき戦い 「戦争という大きな暴力は、消え去ったが、 ![]() 秩序を失った国土には新しい暴力が吹き荒れ、 戦場から帰った血気盛りの若者たちが、 それらの無法に立ち向かうのには、 自らの暴力に頼るほかはなかった」 本作品では、実はエンディングナレーションはなく、冒頭のナレーションで、 前述の内容が流れました。 エンディングは、殺された坂井鉄也(松方弘樹)の葬儀のシーンで 広能昌三(菅原文太)が放つ銃弾!有名なシーンです。 ![]() 2.仁義なき戦い 広島死闘篇 ![]() 山中正治(北大路欣也)がドラマの主人公であり、 広能(菅原文太)は脇のようなつくりになっています。 その自殺した山中の葬儀のラストシーンに流れます。 「山中正治は、広島やくざの典型として、 現代にもその名が語り継がれている。 だが、いま、その墓を訪れるものはひとりもいない。 こうした若者の死を積み重ねて、広島やくざの抗争は、 さらに激しく拡大の一途を辿っていったのである」 3.仁義なき戦い 代理戦争 抗争の中で死んでいった若者の焼骨が、襲ってきた敵対するやくざの ![]() クルマに轢かれ、砕け散り、泣き叫ぶ母親、骨を握り締める広能・・・ 「戦いが始まるとき、まず失われものは若い命である。 そして、その死がついに報われた例がない。 こうした死を積み重ねつつ、広島やくざの抗争は、 さらに激しく拡大の一途をたどっていったのである」 4.仁義なき戦い 頂上作戦 ![]() ラストとなりました。そして、本作が笠原和夫の脚本の最終作です。 「こうして広島抗争事件は、死者17人、負傷者26人、 逮捕者役1,500人をだしながら、 なんら実りなき終焉を迎え、 やくざ集団の暴力は、市民の秩序の中に埋没していった のである。 だが、暴力、そのものは、いや人間を暴力に駆り立てる 社会矛盾は、決してわれわれの周囲から消え去ったわけではない」 5.仁義なき戦い 完結篇 会社から、シリーズの継続を要請されて高田宏治が書いた脚本です。 ![]() 以降のシリーズは、彼の脚本となります。 笠原和夫の脚本は、戦後の混乱期からやくざ組織を形成していった、 広能らの若者たち、抗争の中で死んでいった若者たち、 彼らに焦点があたっており、それがナレーションからも窺えます。 高田宏治の脚本は、暴力がテーマになっているように思えます。 それが、このナレーションからもわかります。 本作も抗争の中で死んでいった少年の焼香に訪れる、広能のラストシーンです。 「このとき、広能は、死んでいった少年の顔さえ、 定かに覚えてはいなかった。 この日、ようやく引退を決意したのである。 戦後の混乱期、彼がやくざ社会に身を投じてから、 すでに二十数年、歳月の流れはさまざまな組織を産み続け、 組織は、また次々に戦いの種をまきつづけた。 そして、多くの若者たちの血が流されたのであった。 人間の社会から、弱肉強食の戦いが絶えるのは、 果たしていつのことであろうか」 |
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