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2009. 9/1 | ◆プログラムピクチャーとしての妙 | |
セリフの紹介・解説から離れて、映画館での上映された時点での作品の組合せについて、書いてみたいと思います。 東映のやくざ映画は、任侠から、実録の路線を歩んで、十数年続くのですが、プログラムピクチャーと呼ばれ、毎週のように上映作品を替えて上映されていました。通常2本の映画の組合せとなります。地方では、3本立ての場合もありました。 いろいろと調べていると、組合せの映画の種類に傾向がありました。 以前「やくざ映画の歴史」で書いたように、任侠から、実録、ネオチンピラと路線が推移してゆくのですが、この推移と完全に番組の傾向が合致するわけではありません。重なる部分も当然あります。そういった流れの中で傾向が生まれてゆきます。 それでは、実際の番組編成をみてみましょう。便宜上、作品の分類を行ってみましたが、これは番組の作品を並べてみたときの相対的な分類です。 1.初期の頃の組合せ 「やくざ」+「やくざ」 例) 「博奕打ち 総長賭博」+「日本暗黒史 情無用」 「新網走番外地」+「博徒列伝」 「緋牡丹博徒 花札勝負」+「現代やくざ 与太者の掟」 このころは、アクション+アクション、またはハード+ハードの組合せで 息つく暇もない組合せですね。 2.中期の頃の組合せ 「ハード」+「ソフト」 例) 「昭和残侠伝 死んで貰います」 +「ずべ公番長 夢は夜ひらく」 「博奕打ち外伝」+「夜の女狩り」 「仁義なき戦い」+「女番長」 メインのやくざ映画は、それなりに予算を投じた 映画ですし、併映の作品は、きっと低予算ながら 趣向を凝らした映画に思えます。 タイトルからも、興味をそそられませんか? 「夜の女狩り」なんて、いったいどんな映画? 3.後期の頃の組合せ 「バイオレンス」+「アクション」 例) 「仁義なき戦い 完結篇」+「極悪拳法」 「安藤組外伝 人斬り舎弟」+「ザ・カラテ2」 「仁義の墓場」+「少林寺拳法」 この頃は少林寺拳法や極真会カラテの大山倍達と いったブームを反映して、こういった映画が作られ ました。個人的には興味がなく、番組編成の魅力も なくなってきたように思われます。 と同時に、実録やくざ映画も衰退の一途を辿りました。 4.末期の頃の組合せ この頃は、とくに傾向というよりも映画の種類が 変わってきたことと、1本立てに移ってゆきます。 例) 「新仁義なき戦い 組長最後の日」 +「キンキンのルンペン大将」 「ドーベルマン刑事」 +「ビューティペア 真赤な青春」 「トラック野郎 男一匹桃次郎」+「こちら葛飾亀有公園前派出所」 東映映画、暴走の時代です。もう何をかいわんや、といったコメントです。 観客も東映離れをおこしていったように思えます。 「仁義なき戦い」を観たい観客は、キンキンを観たいはずはない!! こんな具合です。 ちょうど筆者が観ていたのは、中期の頃でした。やくざ映画も「仁義なき戦い」を始めとし、実録路線の名作を多く輩出していたころです。 番組の組合せも池玲子や杉本美樹の出演する「女番長」シリーズや志穂美悦子の「女必殺拳」シリーズといった作品でした。先の例からもわかるように同時上映作品もどんな映画だろうと興味を魅かれものでしたし、この硬軟の組合せが絶妙だったように思えます。そのような理由から、やくざ映画のみでなく、当時の東映作品は、楽しい番組だったように思い出されます。 読者の方は、気づいたかもしれませんが、当時テレビにおされ衰退する邦画界において、テレビでは見られない内容を映画でみせなければ、業界が成り立ちませんでした。 そこで東映は、不良性感度の高い映画を作り、生きながらえたのです。 松竹の得意としたホームドラマは、逆にテレビにうってつけの内容で、テレビに観客が移ってゆきます。 また、日活や大映も、東映の後に続けとばかりにやくざ映画を作りましたが、東映の俳優、脇役陣の層の深さが東映のやくざ映画を支えていたわけですので、やはりうまくいったとはいえませんでした。 そんな東映の時代を形成したことが伺える番組構成でした |
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