大七山 - わたらせからの風 足利近辺の山々
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大七山 地図

大七山

”酒は大七”の野立て看板

足利から桐生に向うと、
織姫山大岩山石尊山湯殿山等々の足利の山々が北に望めます。
その中で、"酒は大七"という白文字の野立て看板が山腹にある山が一際目立ちます。地元では、大七山と呼ばれています。

大七酒造は、福島の酒蔵であり、
福島近隣のあちらこちらに、同様の看板を立てているようです。
一年置きくらいに酒蔵の方が山を訪れ、清掃に登っているという話も聞きます。

山頂はヤブ、看板までも辿りつけるか、わかりませんが、
やはり気になるので足を運んでみました。
大七山 (2014.7/26 火)

県道岩船桐生線を、自転車で足利市街から北関東自動車道の高架をくぐり、
山前小学校に沿った道を北、すなわち大七山に向かって進みます。


長松寺

つきあたりが長松寺。




山門の左に、
足利市の重要文化財に指定されている宝篋印塔が立ちます。
案内板によると、
南北朝時代の観応2年(1351)の年号が記されていると
いいますので、かなり古いものです。
その横には自然石の庚申塔。

山門を右から回り込むと駐車場、そして幼稚園があります。
駐車場に自転車を停めると、
ちょうど住職の奥さんが通りかかったので、
大七山に登ろうとしていることを説明し、登山口を尋ねました。
こういった場所では、地元の方と言葉を交わさないと、
怪しい人になってしまいすから・・・

本堂の左の山裾に拡がる墓地の上に山道があり、
寺で整備したが、途中までのとのこと。

なお、大七酒造の清掃は、
寺より東の場所から、登っているそうです。
こちらも道はないらしい。

とりあえず、墓地上の山道に向かいます。

長松寺、大七山へ向かう道

長松寺山門

南北朝時代の宝篋印塔

春日神社

社殿裏の石祠

春日神社

墓地の西隣の木立が神社の境内になっています。春日神社です。
藤姓足利氏によって創建されたとのこと。
ちなみに足利氏は、以前「赤雪山」の紹介で記載したように、
藤姓と源姓の2系統があります。
後の鎌倉時代を興す源頼朝は後者。


お決まりで社殿の後ろ横に、いくつかの石祠。

山道へ

墓地へ戻り、山に向かう道をジグザグに登ってゆきます。

山道へ

ジグザグと

行きどまりから、東の踏み跡を

行きどまり

5分も登ると、山道は途切れてしまいました。

さあ、山頂までの検討はつくものの、
この夏山のヤブを突き抜けて登る勇気もなく、諦めます。

他の道を探すと、東に向かう踏み跡を発見。
これで大七の看板方向へ転進です。
墓地の上部を西から東へ移動する感じです。
しかし、道は寺の庫裏の方向へ下っています。

墓地の観音様

墓地まで戻り、
その上部に見えた白い観音様を拝んで、今回は終了。
30分程度の散歩でした。
もともと、いつもの織姫山の散歩代わりなので、
これでよしとします。

しかし、この山は、登るのは難しいでしょうか。
地元の人に聞くと、昔子供の頃、登って遊んだといいます。
ひとが入らなくなると、ヤブ山化が進みますね。

冬に、葉が落ち、見通しがよくなったら、
リトライでしょうか・・・
状況がわかったので、冬に向けての下準備とはなりました。

墓地上部の観音様
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