葛ヶ入の地蔵尊
葛ヶ入の小さな池の畔に立像と坐像の
二体の地蔵様が天蓋の下におわします。
その右横には、自然石の庚申塔。
随分田舎に来たような、いい感じです。 |
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庚申塔群
北関東自動車道の高架に向かい、
高台に上りかけた道の脇に、
祠に収まり、賽銭箱も置かれている自然石の庚申塔があります。
墓地のようなつくりの一角に
祠を囲むように12の庚申塔が並んでいます。
祠の隣の庚申塔には、「庚申満願碑」と記されています。
珍しい刻印です。 |
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平石八幡宮
北関東自動車道の高架をくぐり、
足利清風高校の校舎の裏手にある平石八幡宮に着きました。
すると、どこからか「おはようございます」の声がかかりました。
八幡宮のあたりかと思い、見回したのですが、
すぐに声の主が見つかりません。
すると高校の裏門のところでタバコを吸っていた人が立ち上がり、ようやく声の主が判明。話しをしてみると、同高校の体育の教師らしい。このところ涼しい日が続き、水泳で生徒がプールに入るのがかわいそうだったという話。校内でタバコが吸えず、門の外へ出て吸っていたらしい。
平石八幡宮は、樹が茂った境内の前に、
「八幡宮」と朱色で記された石鳥居があり、鳥居をくぐると、
左に案内板、右に智光寺跡の石碑が建っています。
本殿は、そっけない横長のものです。
足利泰氏が自身の守り本尊である阿弥陀如来を本尊とする
智光寺をこの地に建立し、
その境内の一角に源氏の守護神である八幡大神を
鎌倉八幡宮から勧請し、八幡宮を建立しました。
智光寺石碑の横に、この近辺は縄文時代の遺跡であり、
戦前二十数基の古墳があり、
山頂の古墳は現存する旨が記されていました。
石碑には、1265年に足利泰氏が建立したが、
江戸後期に火災で消滅したが、
東西200m、南北300mの寺域の浄土庭園をもつ、
真言宗の寺であったこと等が記されています。
また境内のさらに右の藪の中に
石祠が隠れるように立っていました。ちょっと淋しい風景です。 |
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登山口へ
八幡宮の裏山がたった75mの堂山ですが、
登山口は、本殿の左隣りにある山下町5丁目自治会館の、
さらに左にある溜め池の畔です。
池に向かう山腹の笹薮の下にいくつかの石仏がありました。
今は殆どひとの眼に触れないのでしょうね。
みんな、時代に取り残され、風化していってしまう。
なんとかしないと・・・ |
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溜池
溜池へは、少し上ってゆきます。
池の畔に立ち入り禁止の立て札。
池の水面は、一面の睡蓮が覆っていました。
後ろの山は、野山でしょうか。
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登山口
池に沿って、わずかに道らしさが残る先に、
露出した岩のある登山口。 |
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石祠
山に入ると、すぐ大岩を背に、石祠があります。
比較的新しい紙垂(しで)が下げられていました。
いまも信仰の対象となっているようです。 |
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堂山頂
有るか無しかの、なんとなく山道らしいところを辿ると、
すぐ山頂です。
とくに山名板もないので、
山頂らしい場所というのが、適切でしょうか。
山歩き、山登りといった範疇にはいらない2,3分の歩きです。
標高も75mですから・・・
山歩きというよりも、
栄えていた足利氏の寺院跡に立ち、
歴史に思いを馳せることができたらよいかと思います。
しかし、昔を偲ぶ史跡が殆どないのが残念でした。
たぶん樺崎寺に次ぐ規模の浄土庭園が昔あった、
ということが口伝されるのみです。 |
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