絵馬の里を歩く - わたらせからの風 足利近辺の山々
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マップ絵馬の里  足利市は、小絵馬の宝庫ともいわれ、
  市内のあちらこちらの神社に民衆の願いを込めたさまざまな絵馬が
 奉納されています。

 絵馬は、神が乗って降臨する馬を神社に奉納する民間信仰として生まれました。
 数多くの絵馬が残る足利(大絵馬868枚、小絵馬5万枚以上)で、
 特長的な絵馬、小絵馬の宝庫でもある三重(五十部)地区を歩きます。
 三重地区は、新装なった足利赤十字病院のちょうど北にあたります。
 都合よく、同病院の駐車場を利用できます。(取材日:2012.5/6 土)


大手神社

病院の前の交差点の北の道路を右折します。
100メートルくらいのところに小さな神社が祀られています。
大手神社です。
大手神社は、手の神様の天手力男命(あめのむじからおのみこと)を祭神としていたが、後年平将門が祭神となり、藤原秀郷に殺害され、その原因が桔梗姫が居場所を教えたこととされ、この地区では桔梗を嫌う習慣が生まれたといいます。

大手神社には、手の病の治癒を願う「両手図」、「片手図」、市内で働く機織り工女が上達を祈願する「白い手」等の小絵馬が16000枚以上残っています。
そのいくつかを社殿脇に見ることができます。
女工哀史」では、ありませんが、昔の女工さんの思いが胸に響きます。

大手神社

白い手の絵馬

浄林寺

からくり屋敷と呼ばれる浄林寺離れ

浄林寺

もとの道に戻り、JR両毛線の踏切を渡り、
セブンイレブンのある交差点を北300メートルほど歩きます。

左手の山麓に寺があります。臨済宗の浄林寺です。
寺の山門の左手の木立に囲まれた一段高くなった場所に、趣きのある萱葺・入母屋造・白壁の木造二階建の家屋が建っています。

この浄林寺離れは、江戸時代に同寺の住職の隠居所として建てられたが、渡辺崋山の隠れ家だったとも伝わり、その特異な構造から「からくり屋敷」とも呼ばれます。残念ながら、中には入れませんでした。

笠原稲荷と庚申塔

さらに山裾に沿って数百メートル北上すると、
道路沿いに石鳥居のある笠原稲荷が見えてきます。





その裏側に庚申塔が残されています。

笠原稲荷

庚申塔

お化け地蔵

お化け地蔵(首なし地蔵)

笠原稲荷から、東の山麓沿いの道へ移り、南に戻ります。
道路沿いの民家の脇にコンクリートの覆屋があり、
その中に3体の地蔵様が祀られています。
ただし、そのうちの2体には頭がありません。
これは、お化けになって現れた地蔵が偽の名刀正宗で首を落とされたので、首がなくなり、お化け地蔵と呼ばれます。
すると自家の本当の正宗の刃がこぼれ落ちていたと伝えられます。

水使神社

山裾に沿って、南に歩き、
足利赤十字病院も近くなった山側に石段が延びています。
水使神社です。
出流原弁天の子イソの子が神社の近くの淵で溺れ、助けようとした親子共々亡くなりました。その後、その淵で異変が起こるようになり、夢枕で水使権現を祀るようにお告げがあり、600年前に建立されたといわれます。

社殿の前の賽銭箱の周りには、安産や子育てを祈願した前掛けや絵馬が寄進されています。また田の神、花柳界の信仰を集めていました。





水使神社には、下半身の悩みを救う「腰巻図」、安産を祈願する「親子図」等の小絵馬が3500枚以上残されています。








また社殿の横の小さなプレハブ小屋を除くと、ガラス窓越しに男性器、女性器をかたどっている金精様が鎮座しているのが見えます。ここから産業道路に出て、
西に歩けば、セブンイレブンの交差点です。
小絵馬の里でもある足利の里を歩いてみました。
春、秋の時期にのんびり散策するのにいかがでしょうか。

水使神社

賽銭箱の周りは前掛けが

安産祈願の絵馬

金精様

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