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さて、紋次郎の決めセリフといえば、
「あっしには関わりのねえことでござんす」
ですが、第3シリーズの1作目のラストは、このセリフです。
ちなみに原作でもこのセリフは使われていました。
世の中、自分を正当化するために云い分けをするひとがいます。
人間、少なからず自分が可愛いし、自分が全てでもあるので、その傾向があるのは当然です。
あなたは決して悪くはないのよ、なんてことをいうのは、子供を甘やかす親くらいなもので、
云い訳をしたところで、それを誰も真に受けて、庇ってくれるわけでもありません。
年老いて、例えば水道の水が出しっぱなしを注意すれば、
"わたしは知らない"、"そんな筈はない"、すべて云い訳をするひとがいます。
あなたがしなければ、誰がするのか!
普段から云い分けをする癖は、年老いてなお、エスカレートするようです。
とにかく素直に非を認めてしまうほうが好感がもたれます。
さらに、云い分けをしない生き方のほうが潔い。意識してそんな生き方をしましょう。
テレビ放映の紋次郎も第2シリーズ終了の1973年3月から、
第3シリーズ開始の1977年10月まで、5年弱の間隔がありました。
その間、原作も回を重ねてします。
放映するテレビ局もフジテレビから東京12チャンネルへ。
それまで冠してした"市川崑劇場"のタイトルも消え、新しい船出となりました。
なお、本作の監督は藤田敏八。
日活末期の名作「八月の濡れた砂」(1971)で注目を浴び、日活ロマンポルノでも数々の秀作を作り、
本作の翌年、青春映画の名作「帰らざる日々」(1978)を生み出しました。
そして本作で時代劇初めての演出でしたが、なかなか良かったと思います。
また新シリーズのタイトルバックは、大林宣彦監督ということで、
当時彼が作った映画「ハウス」(1977)の感覚です。
当時としては斬新だったかもしれませんが、旧シリーズのほうが情緒がありました。
宿場、街道といった風景も紋次郎に劣らず主人公でした。
また、この作品で初めて紋次郎は地元の貸元のところに草鞋を脱ぎます。
いままでそんなことはなかったのですが、
テレビ版のみを見ていると、経過した歳月で紋次郎にも変化があったように感じられます。
しかし、原作はシリーズには分かれていませんので、ときにはそういうこともあったという理解です。 |