日光例幣使街道 太田〜天明 - わたらせからの風 近隣の山々
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日光例幣使街道 その3 太田〜天明 地図へ

日光例幣使街道を歩く!シリーズ第3回の今回は、太田宿から、佐野の天明宿までをご紹介します。

歩行距離 20.6km。歩行時間 6時間10分(休憩含む)。(取材日:2008.12/18 木)

寺岡町元田舎屋の道標追加(2014.8/11) 

>> 図をクリックすると拡大表示します。

日光例幣使街道マップ 太田〜天明
足利の自宅から、東武伊勢崎線で太田まで行き、そこから歩き始め、帰りはJR両毛線の佐野から戻るコースです。
前回の太田止まりで、計画も狂い、今回のコースは佐野までとなりました。



太田駅倉賀野駅南口

前回までは、9時スタートであり、そのあと時間的に苦しかったので、
昨年を思い出し、早めのスタートに変更しました。
この日は濃霧で電車が遅れていましたが、7時50分スタートです。

太田駅も朝の日差しの中です。

太田駅
富士重工1

富士重工2

富士重工の工場

駅から、太田の街中を東に歩いてゆきます。
通りの北側にスバルの工場がふたつ。
出勤ご苦労様です、といった感じです。

今年は、輸出不振もあり、社員の解雇が連日ニュースになっており、この富士重工も例外ではありません。たいへんですね。

東武線の高架

東武線の大間々に向かう路線の高架の下をくぐってゆきます。

東武線の高架
金山

東武線の電車

金山と東武線

西側が田んぼになり、金山が見えます。その手前に東武線の線路です。
朝も早いので、自分の陰が田んぼに長く影を作っています。




歩いていたら、電車が太田駅方向に向かって、走ってきました。

朝の風景です。

馬洗い場跡

家並みの中の狭い道になり、
用水が流れている先に馬洗い場跡の石碑が建っています。
昔は、ここで馬を洗ったのでしょうか・・・

馬洗い場跡
地蔵堂

石の地蔵

地蔵堂

少し歩くと、左手に地蔵堂があります。







中を覗くと、石の地蔵が祀られていました。

国道122号

国道122号を横切ります。
クルマヤの太陽のところでした。

国道122号
賀茂神社

鳥居のない由来の碑

庚申塔

石尊の祠

賀茂神社

国道を渡り、狭い道沿いの賀茂神社の境内の左手に、
なんと珍しい犬の銅像があります。
石碑の説明には、次のような内容が記されています。

例幣使一行が境内で休んでいると、
犬が吠えるので、切り殺してしまいました。
犬の首は、宙を舞い、鳥居の上の大蛇に噛みついたそうです。

犬は、大蛇がいることを知らせるために鳴いていたのでした。

鳴いた理由がわかり、日光から戻るまでに供養の塚を作るように言い残して、例幣使一行は旅を続けてゆきました。

村人は、犬の供養塚を作り、鳥居を取り払いました。
従って、いまもこの神社に鳥居はありません。

なにかしみじみとした話ですね。









また境内には、庚申塔や石尊の祠があります。

コンビニCoco!

通りにでるところに、あのコンビニCoco!がありました。
このあたりには、いくつかあるのでしょうか。

コンビニCoco!
足尾の山々

日光の山々

足尾の山々の背後に、左に日光白根山、右に男体山が見えました。

道は蛇行して

通りから、外れて、街道は、蛇行してゆきます。
道標がありますが、ゴミの隣にあり、淋しい雰囲気でした。

道標1

道標2
八坂神社


八坂神社

群馬から栃木に移り、矢場川の旧道沿いの道を歩きます。
昔は、本通りだったのでしょう。
狭い通りに、郵便局、JA、そして八坂神社があります。
ここで休憩です。歩き始めて1時間少し経っています。




神社の裏手から、石尊山、深高山の奥に男体山が遠望できました。

矢場川

矢場川を渡ると、小さな公園があり、道標が建っています。
「日光 20里6丁、倉賀野11里18丁」
全行程の3分の1を歩いたことになります。

矢場川

道標
宝性寺

初代堀込源太の墓

宝性寺

足利も次第に市街地に入ってゆき、
堀込薬師として知られる宝性寺まで来ました。
ここは、筆者が在職中、通勤で毎日クルマで通っていた道です。

この寺は、文永9年に創建され、本尊は十一面観音です。



そして、八木節の創始者である初代堀込源太の墓があります。

八木宿へ

ようやく八木宿です。
筆者の地元でもあるので、なじみの道です。
「ようこそ八木節のふるさとへ」という、大きな看板が立っています。

八木節ふるさとの看板
八木宿本陣跡の看板

本陣跡の石碑?

八木宿本陣跡

八木宿の交差点に「八木宿本陣跡」の看板だけがあります。







跡を顕す建造物は、何もないのかと思ったのですが、看板の後ろに道標がありました。しかし、解読できませんでした。

太田から、足利まで、約2時間の歩きでした。
やはり、前回、足を八木宿まで延ばしていたら、たいへんだったかもしれません。

母衣輪神社

この神社の境内で休憩です。
今回の歩きでは、神社が休憩ポイントになってしまったようです。

ちなみに太田、足利は、例幣使街道の案内も少ないようです。

母衣輪神社
東武線福居駅入り口

福居駅

東武伊勢崎線福居駅

踏切が見えて、左折すると、
前回のゴール予定だった福居駅です。

駅前を通り過ぎ、トチセンの赤レンガ工場を見に行きます。

トチセン(旧足利織物)

この工場は、足利が織物で隆盛だった大正年間に建てられました。
6連のノコギリ屋根が特長的な、赤レンガ造りの捺染工場です。
建物にいたずら書きのように黒い線が描かれています。
これは戦争中に爆撃から避けるために迷彩として描かれました。

貴重な近代産業遺産です。しっかりと残していってほしいものです。

トチセン

トチセン

地蔵

通りの傍らに地蔵がありましたが、
由緒が書かれたものもなく、不明。

庚申塚

道路の中央に庚申塚があり、
「東 梁田、西福居、東南 久野をへて館林」の文字が読めました。
庚申塚
国道50号 国道50号

国道50号へ出る手前にも、八木節のふるさとの看板が立っていました。

これから、国道50号を渡り、渡良瀬川に向かいます。
長福寺

渡良瀬川の手前には、梁田宿があります。
川止めなどのときは、例幣使や旅人は、この宿に泊まったのでしょう。
当時は、旅籠が32軒もあったとのことですが、いまは、そんな宿の面影は残っていません。



江戸末期の慶応4年の戊辰戦争で梁田戦争と呼ばれる事件がありました。
長福寺には、そのときの幕府軍の戦死者の墓があります。
長福寺

梁田戦争戦士塚
渡良瀬川の土手

川崎橋
渡良瀬川

渡良瀬川の土手にでました。去年、歩いた土手です。

ここで例幣使は渡良瀬川を渡るのですが、現代は、少し下流の川崎橋で対岸に渡ります。



土手からは、北の山々がよく見えます。
ふと土手歩きのほうが気持ちがよかった、などと思ってしまいました。
昨年、このあたりを歩いているときは、風で難渋したのに・・・
渡良瀬川の土手から山々
庚申塔

渡良瀬川を渡り、道端には庚申塔などがあり、さらに歩き続けます。




オグラ金属

足利フラワーパーク入り口
オグラ金属

目の前に潟Iグラ金属の工場が見えてきました。
工場を通り過ぎると、左が足利フラワーパーク入り口という看板があります。
足利もかなり西に来たことになります。
大小山

北の方向には、山腹に「大小」の白い看板を掲げた大小山が見えます。
大小山
寺岡元三大師入り口 岡崎山

市内の循環バスの終点である岡崎山です。
ここから、寺岡山元三大師に向かいます。
一本松地蔵尊

曲がった左の小高いところに一本松地蔵尊があります。
由緒不明。
一本松地蔵尊
岡崎山古墳群

寺岡山元三大師

境内
寺岡山元三大師

岡崎山古墳群を見て、寺岡山元三大師に向かいます。

旗川を下流に回りこむように山の東側に向かいます。
狭い人家の前の道を行くと大師はあります。
初めて訪れると不安でしょうね。


境内もずいぶん整備されてきているようです。

元三大師は、比叡山の第18代の座主です。
本当は、慈恵大師というのだそうですが、正月三日になくなったので、元三大師と呼ばれるようになったそうです。
TV太平記ロケセット跡地

寺の前の旗川を上流に少し歩いたところが、
18年前のNHK大河ドラマの「
太平記」のロケセットが組まれていた場所です。
いまは運動公園になっています。


  >> 「わたらせメディア紀行 足利」を参考に。
TV太平記ロケセット跡の公園

地蔵そば

壁面の真田広之、大地康雄のサイン

道標

地蔵そば

当時から、この地の土手下にある「地蔵そば」で昼食としました。
ちょうど12時です。






店内には、「
太平記」に出演した俳優のサインが壁に書かれています。
そばは、田舎そばですが、美味でした。






県道の南にある元田舎屋の角に例幣使街道の道標が
立っていました。
三面に「太田道」、「佐野道」、「足利道」と記されています。

2014年夏、初春に撮影された映画「バンクーバーの朝日」の
オープンセットを見学に行った際に発見しました。
同映画のセットは、県道北のトオカツフーズの工場とJR両毛線の間に野球場、カナダ人街、日本人街が造られました(2014.8/11)
旗川、JR両毛線を越えて

県道桐生岩船線に出て、旗川を渡り、JR両毛線を越えてゆきます。
旗川

JR両毛線踏切
獅子舞倉庫 芦畦(あしぐろ)の獅子舞倉庫

700年前に始まったと伝えられる獅子舞の倉庫があります。
毎年旧暦の6月1日と15日に舞うそうです。
常夜灯

獅子舞倉庫脇とその先に常夜灯があります。
常夜灯
個人が建てた道標 道標

個人で建てた例幣使街道の道標が家の片隅に建っています。
このあたりは、大きな通りから外れて、街道は通っていますので、ぜひ行政で整備してほしいものです
JR両毛線

右手にJR両毛線の線路があり、下り電車が走ってゆきます。
両毛線は、東西に走っているので、
西の高崎に向かうのが登りで、東の小山に向かうのが下りです。
両毛線の電車
厄除け大師の門

厄除け大師
春日岡山元三大師

佐野も市街地に入り、春日岡山元三大師に寄ります。
この寺は、惣宗寺といいます。地元では、佐野厄除け大師として有名です。
境内には、田中正三の墓があります。
また映画「
虹の女神」でお祭りのシーンで鐘楼のある場所が使われました。

また、近辺には、ラーメン屋さんもたくさんあります。
 
街中の看板

佐野駅に向う途中、大通り沿いの店の旧い看板が見事です。
今後も保存し、残していってほしいものです。
土佐屋の看板

小沼呉服店の看板
 
道路基点の標柱

道路の基点の標柱が植え込みに隠れてありました。
佐野駅

大通りを歩いて、本日のゴールの佐野駅です。





駅前のロータリーのところに司馬遼太郎の「この国のかたち」の石碑を見つけました。同氏は戦時中、この地におりました。

石碑には、次のように刻まれています。

この町は、十三世紀からの鋳物や大正期の佐野縮など
 絹織物による富の蓄積のおかげで町並には大きな家が多く、
 戦時中に露地に打水などがなされていて、どの家もどの辻も
 町民による手入れがよくゆきとどいていた。
 軒下などで遊んでいるこどももまことに子柄がよく、
 自分がこの子らの将来のために死ぬなら
 多少の意味があると思ったりした。」

 >> 日光例幣使街道 その4 天明〜栃木へ続く。

司馬遼太郎の石碑

佐野駅
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