堂山 - わたらせからの風 足利近辺の山々
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堂山 地図

堂山 足利市街の西にある足利清風高校の裏手にある平石八幡宮、その裏山が堂山です。
堂山 標高 75m(2013.9/10 火)

自宅から自転車で、足利日赤病院のある五十部町へ行き、
三重小学校の先から、西へ山間を抜けて、足利清風高校へ向かいます。


葛ヶ入の地蔵尊

葛ヶ入の小さな池の畔に立像と坐像の
二体の地蔵様が天蓋の下におわします。
その右横には、自然石の庚申塔。
随分田舎に来たような、いい感じです。

地蔵

庚申塔群

庚申満願碑

庚申塔群

北関東自動車道の高架に向かい、
高台に上りかけた道の脇に、
祠に収まり、賽銭箱も置かれている自然石の庚申塔があります。
墓地のようなつくりの一角に
祠を囲むように12の庚申塔が並んでいます。


祠の隣の庚申塔には、「庚申満願碑」と記されています。
珍しい刻印です。

平石八幡宮

北関東自動車道の高架をくぐり、
足利清風高校の校舎の裏手にある平石八幡宮に着きました。

すると、どこからか「おはようございます」の声がかかりました。
八幡宮のあたりかと思い、見回したのですが、
すぐに声の主が見つかりません。
すると高校の裏門のところでタバコを吸っていた人が立ち上がり、ようやく声の主が判明。話しをしてみると、同高校の体育の教師らしい。このところ涼しい日が続き、水泳で生徒がプールに入るのがかわいそうだったという話。校内でタバコが吸えず、門の外へ出て吸っていたらしい。

平石八幡宮は、樹が茂った境内の前に、
「八幡宮」と朱色で記された石鳥居があり、鳥居をくぐると、
左に案内板、右に智光寺跡の石碑が建っています。
本殿は、そっけない横長のものです。









足利泰氏が自身の守り本尊である阿弥陀如来を本尊とする
智光寺をこの地に建立し、
その境内の一角に源氏の守護神である八幡大神を
鎌倉八幡宮から勧請し、八幡宮を建立しました。

智光寺石碑の横に、この近辺は縄文時代の遺跡であり、
戦前二十数基の古墳があり、
山頂の古墳は現存する旨が記されていました。

石碑には、1265年に足利泰氏が建立したが、
江戸後期に火災で消滅したが、
東西200m、南北300mの寺域の浄土庭園をもつ、
真言宗の寺であったこと等が記されています。

また境内のさらに右の藪の中に
石祠が隠れるように立っていました。ちょっと淋しい風景です。

足利清風高校の向かいの平石八幡宮

平石八幡宮の石鳥居

古墳を示す案内板

智光寺跡石碑

藪の中の石祠

山下町5丁目自治会館の西

山腹の藪に石仏が

登山口へ

八幡宮の裏山がたった75mの堂山ですが、
登山口は、本殿の左隣りにある山下町5丁目自治会館の、
さらに左にある溜め池の畔です。



池に向かう山腹の笹薮の下にいくつかの石仏がありました。
今は殆どひとの眼に触れないのでしょうね。
みんな、時代に取り残され、風化していってしまう。
なんとかしないと・・・

溜池

溜池へは、少し上ってゆきます。





池の畔に立ち入り禁止の立て札。
池の水面は、一面の睡蓮が覆っていました。

後ろの山は、野山でしょうか。

ため池へ上る

水連のため池

登山口

登山口

池に沿って、わずかに道らしさが残る先に、
露出した岩のある登山口。

石祠

山に入ると、すぐ大岩を背に、石祠があります。
比較的新しい紙垂(しで)が下げられていました。
いまも信仰の対象となっているようです。



大岩を背にした石祠
堂山山頂

堂山頂

有るか無しかの、なんとなく山道らしいところを辿ると、
すぐ山頂です。
とくに山名板もないので、
山頂らしい場所というのが、適切でしょうか。

山歩き、山登りといった範疇にはいらない2,3分の歩きです。
標高も75mですから・・・

山歩きというよりも、
栄えていた足利氏の寺院跡に立ち、
歴史に思いを馳せることができたらよいかと思います。
しかし、昔を偲ぶ史跡が殆どないのが残念でした。
たぶん樺崎寺に次ぐ規模の浄土庭園が昔あった、
ということが口伝されるのみです。

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