切幹(ぎりみき。庚申アンダー)
国道122号を桐生から足尾に向かってゆくと、
町に入る手前に陸橋があります。
わたらせ渓谷鉄道です。
庚申アンダーと呼ばれています。
その手前の交差点が切幹の交差点です。
ここを左折して、小滝、銀山平に向かいます。
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庚申山碑
交差点を曲がると、すぐ右側にあります。
庚申山への登山口でもありました。
江戸時代に建てられた石碑が残っています。
ここからは、細い道を上って行きます。
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庚申ダム
切幹からは、渡良瀬川支流の庚申川を辿ってゆきますが、途中ダムがあります。
庚申ダムです。
写真は、裏側から撮ったものです。
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「小滝の里」碑
銅山の歴史の中では、もっとも遅く開発が始まり、もっとも早く歴史を閉じたのが、小滝です。
ここに小滝坑があり、狭い渓谷沿いに最盛期には1万人の人が住んでいました。
いまは、その面影もなかなか見られず、自然の山の景色に戻りつつあります。
この地も何度か通っていますが、眼をつむれば、かつての賑わいの人々の声が聞こえてくるようです。
やるせない、せつない想いをいつも抱かざるを得ない場所です。
石碑には、“ここに小滝の里ありき”と刻まれています。
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小滝坑跡
道路の右に小滝の坑道入り口があります。
ここから備前楯山の地中を横断するように、
反対側の本山まで、坑道が掘られています。
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当初の小滝坑跡
小滝で最初に造られた坑道の入り口もすぐ近くにあります。
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火薬貯蔵庫跡(燕岩)
自然の岩壁を利用し、貯蔵庫としていました。
その隣には、削岩機の操作練習で岩に空けた穴の無数の痕が残っています。
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中国人殉難烈士慰霊塔
銀山平にある国民宿舎 かじか荘は、最近温泉で有名ですが、
その手前の右の山側の木立の中に、この慰霊塔は建っています。
太平洋戦争末期、ここに中国人強制収容所があり、小滝坑の坑内作業に従事させられており、ここで亡くなった109名の慰霊の塔です。
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船石林道入り口
かじか荘を通り過ぎ、さらに上っていった行き止まりが庚申山への登山口となっています。
ここから、右に延びた道が船石林道です。
林道は、本山地区へと続いています。
途中の船石峠が備前楯山の登山口です。
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船石峠
かつては、林道沿いの路肩の空き地の駐車場所しかなかったのですが、
いまは立派な駐車場が造られています。
ここから備前楯山へは登ります。
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船石
峠の名前の由来とされる石“船石”が説明板とともに駐車場内にあります。
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船石峠から男体山(スケッチ)
駐車場からは、足尾の山々の後方に男体山が望めます。
自作のスケッチを掲載します。
STAEDTLER製Pigment Linerを使用。
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鷹乃巣坑
林道を本山へ下る途中、かつて鷹之巣坑があります。
しかし、いまは深い雑木林の緑に覆われていて、まったく面影はありません。
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杉菜畑神社
神社は山の中腹にあるという。
その上り道には、職員社宅が立ち並んでいたという。
いまは草木を生い茂り、住居の礎石が残るのみで残念ながら神社に達することができませんでした。
次回訪問時までに場所を調べておこうと思います。
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足尾精錬所
銅山の本丸ともいうべき精錬所がいまもあります。
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古河橋
本山から赤倉の道路に出る橋です。
新旧ふたつの橋が並んでいます。
道路を左折し、銅親水公園に向かい北上します。
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足尾ダム
銅親水公園には、足尾ダムがあります。
綺麗な観光地然としたダムサイトです。
ダムの上流(北側)で、渡良瀬川の源流となる久蔵沢、松木沢、仁田元沢が合流します。
かつて、これらの沢沿いにたくさんの人々が暮らしていたわけです。
しかし、足尾の煙害で緑もなくなり、人が住めなくなり、みな土地を離れ、廃村となってゆきました。
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渡良瀬川源流の碑
渡良瀬川源流の碑が建てられています。
碑文には、ダムから12km遡った皇海山(すかいさん)から流れ出る松木川が源流である旨が記されています。
川を見下ろせば、清流という言葉がピタリの光景が見られます。
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渡良瀬川源流(スケッチ)
ダムの北側で3つの沢が合流します。
その周りを足尾の山々が見守るように取り囲んでいます。
自作のスケッチを掲載します。
船石峠のスケッチと異なり、三菱製DERMATOGRAH使用。
タッチを変えています。
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龍蔵寺
慈覚大師 円仁再建と伝えられる天台宗の寺です。
ここには坑山で働いた坑夫の墓が多く建てられています。
その出身地は秋田から兵庫と日本各地にわたっていますが、
いまは、この足尾の地で眠っています。
*慈覚大師 円仁については、
「近隣」ページの円仁修行の寺である「大慈寺」で詳しく説明していますので、ご覧ください。
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松木村無縁仏
かつて足尾ダムの上流に煙害で廃村となったことで有名な松木村がありました。
廃村となることで村の寺の墓が無縁仏となることを憂い、下流にある龍蔵寺に墓を集めたのです。
“無縁”というよりも松木村村民の“無念”の塊のようです。
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間藤発電所跡
当時としては、画期的な水力発電所がかつてあり、その水管が突然道路脇に飛び出しています。
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掛水倶楽部(かけみずくらぶ)
約100年前に鉱山の迎賓館として建てられました。
来賓客の接待、宿泊に使われた施設です。
現在は、休日に一般公開されています。
外観は、洋館ですが、内部には和室、洋室、そしてビリヤード場があります。
足尾銅山の栄華の時代をかいま見ることができます。
また内部には、さまざまな著名人の自筆が残っています。
渋沢栄一、岸信介、江戸川乱歩、吉屋信子、土井たか子等々。
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役員社宅跡
倶楽部の隣に鉱山の役人用の社宅が鉱石博物館として開放されています。
展示されている鉱石よりも、書生部屋、女中部屋、庭にある防空壕。
時代の風を感じることができます。
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