伊勢崎市国定町の道祖神
赤城の子守唄で有名な国定忠治の故郷で墓のある養寿寺です。
寒風吹きすさぶ中、忠治の大きな石碑が建っています。
そして、このあたりは、畑に囲まれ、高いビルもなく、
空が高く青い。
双体道祖神は、寺の北の道路にかかる小さなくにさだ橋の手前の電柱に寄り添うように立っていました。
石も欠け、顔も不明です。その前に橙の蜜柑がひとつ。
背後には忠治の墓を見守るように赤城山が望めます。
衣の中で組み手をし、橋供養と刻まれた双体道祖神(宝暦3歳建立)です。
雪赤城 忠治の墓の 影は濃く
橙と 電柱に寄り添い 道祖神
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前橋市東大室町の道祖神
国道50号に戻り、東大室町の交差点を北上し、最善寺を目指します。
この寺には、境内にいろいろな石仏が並んでいます。
とくに本堂前の複数の手を広げる阿修羅像は立派です。
庫裏の前に枝垂れ梅の木があり、その根元に2基の双体道祖神があります。
左側は、肩を組み手を結ぶ双体道祖神(文化12年建立)、
右側も、肩を組み手を結ぶ双体道祖神(元文5年建立)。
ふたつとも保存状態もよく、よい道祖神です。
枝垂れ梅 青き根元に 二神在り
手をつなぎ 肩を組む神 最善寺
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伊勢崎市鹿島町の道祖神
最善寺から南に下り、北向稲荷を目指します。
鹿島町の公民館の傍に大黒天が祀られており、そこにクルマを置きます。
そこから、北に少し歩くと、また大黒天があり、隣りに庚申塔と双体道祖神があります。
提子(ひさげ)酒を酌む双体道祖神(安政4年建立)。
この地域には、珍しい安曇野タイプの自然石の真ん中を丸くくりぬいたものです。ただし神の形は、よくわからない。
人家の脇を通り、北向稲荷に行きます。
広い畑の塀際に小さな祠があり、稲荷様が祀られていました。
畑のかなたに華蔵寺公園の大観覧車が見えます。
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伊勢崎市日乃出町の道祖神
JR両毛線を通り過ぎ、南に向かい、市街に入ってゆきます。
流通団地西の交差点の南西の個人宅の玄関先のトタンで覆われた中に酒を酌む双体道祖神(天保2年建立)があります。ここは、「双体道祖神道しるべ」という案内板も立っており、見つけやすい。
この道祖神は珍しく道標(角柱)を兼ねており、「南五里やう」、「北赤城」、「東太田安しかが」、「西いせさき」と記されています。
花添えて 道祖神が 道を説く
交差点に何やら国定忠治関連の案内板があります。
忠治の子分の板割浅太郎に殺された三室勘助、勘太郎親子の墓があるという。
地元の名主であった勘助は、年貢徴収で領主の不正を訴えたりした人物らしいのですが、忠治の賭場の情報を取締出役に密告したことを恨まれて、その報復のため殺されました。
ここから、忠治の逃亡が始まります。
交差点から、北へ150m。
立派な親子地蔵、そして赤城の子守唄の石碑が立っています。
思いがけず、その下に前述と同じ道標タイプの双体道祖神を見つけました。
こちらも、「東太田あしかが」、「北赤城山」と記されています。
道標べ 「北赤城山」 道祖神
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伊勢崎市上之宮町の道祖神
市街地を東から西に横切り、倭文神社を目指します。
畑の中に神社は、建っています。
こういった場所は探しやすい。
実は、ここまでにいくつか見つけられない道祖神もありました。
境内の右手に文字道祖神とともに、肩を組み衣の中で手をつなぐ双体道祖神(宝暦12年建立)があります。保存状態も良好。石の白さが目立ちます。
立ち並ぶ 道祖神へ 風白く
真っ白な浅間山の頂き付近には、雲がかかっています。
風が吹きすさび、寒い日です。
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佐波郡玉村町角淵の道祖神
伊勢崎市から玉村町に移り、国道354号を横切り、利根川の支流の烏川の土手に向かいます。
人家と土手の間にふたつの丘があり、墓地となっています。
その入口に頭に毛糸の帽子を冠った六地蔵が並び、その隣に、肩を組み手をつなぐ双体道祖神(明和5年建立)があります。
空蒼く 冬枯れの丘 松高し
帰路は、国道354号に戻り、東上します。
今回も、いくつかの道祖神は見つけられませんでした。
伊勢崎市境小此木町の道祖神、伊勢崎市波志江町の道祖神、伊勢崎市宮古町の道祖神、伊勢崎市三和町の道祖神、佐波郡東村東小保方の道祖神・・・
日光例幣使街道に沿った群馬県伊勢崎市周辺の道祖神を訪ねました。
かつて2年前に「日光例幣使街道シリーズ」で歩いた道でもあり、やはり懐かしさを憶えた道でもありました。 |
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