道祖神と出会う - 渡良瀬川篇 その1 - わたらせからの風 近隣の山々
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マップ 道祖神 渡良瀬川篇 その1
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笠懸町西鹿田の双体道祖神
笠懸町西鹿田の双体道祖神
今回から、スタートする「道祖神と出会う」シリーズですが、まずは、道祖神(どうそしん、どうそじん)の解説から、始めましょう。

その名前くらいは、聞かれたことがあると思います。
よく、道端に石仏が立っています。地蔵菩薩、庚申塔、馬頭観音・・・・これらと似ていますので、混在してしまいっていると思います。

100年、200年前の時代に、村で発生する災い(流行病、天変地異)は、他の地域から悪霊が侵入してきてもたらすものと考えられていました。そこで村々の入口の辻に悪霊の侵入を防ぐために神様を祀ることになりました。それが道祖神です。

塞の神(さいのかみ。災いを遮る神)、道陸神(どうろくじん)とも呼ばれます。これらは、村の人々が出し合ったお金で石工に彫ってもらいます。

長野の安曇野では、祀ることで効果を発揮した道祖神を他の村の者が盗む事件も起こり、道祖神の後ろに「一金 XX両」と、持ち去った際にお金を請求するために金額が彫られたものもあります。

道祖神の種類もいくつかあり、男女の姿を刻んだもの、これは双体道祖神と呼ばれます。自然石に「道祖神」の文字のみ刻んだもの・・・それらを総称して「道祖神」と呼んでいます。

その分布は、何故か、長野から、群馬、栃木に限定されます。先に紹介した長野の松本市から安曇野地区、群馬の西の榛名山南麓 倉渕地区、北の吾妻地区、栃木の南の山間部の粟野地区、殆どがこの地区に集中しています。

これは、長野で興った道祖神の風習が石工を通して、長野から群馬へと、東に伝わっていったものと考えられています。

道祖神は、昔からの庶民の祈りの姿を具現化したものです。
仲睦まじく、肩を寄せ合い、手を握り合った、微笑ましい姿の双体道祖神の前に立つと、時を超え、昔の人々の想いが伝わってきます。

数は少ないものの、渡良瀬川流域にもいくつか存在します。それらを渡良瀬川上流から、訪ねてゆきます。
松尾芭蕉は、”道祖神の招きにあひて”、深川からみちのくへの旅 奥の細道へ旅立ちました。さあ、われわれも出かけてみましょう。
(取材日:2010.10/23 土)
桐生川上流の梅田5丁目、石鴨の道祖神を追加。(取材日:2011.5/8 日)

足尾から、みどり市、桐生市と訪ねますが、歩いているのでは、ポイント間が離れすぎるので、今回はクルマでポイント間を移動します。

まず国道122号で足尾に向かって、北上します。


東村沢入の道祖神

草木湖を過ぎ、足尾トンネル近くになると石材店が多く見られます。
左に大きくカーブしたところの右側に蜂須石材があり、その左側に空き地と金井家の墓地があります。



墓地の石塔の左隣りに
酒器をもつ単体の道祖神(宝暦年間建立)があります。

宝暦ですから1700年中ごろ、江戸時代に造られています。
双体でなく単体です。これは珍しい。
酒呑みの亭主が嫁さんに逃げられて造ったというもので、手に徳利と酒器を持っています。なかなか可愛い顔つきです。

この南にも道祖神はあるらしいのですが、見つけられませんでした。


   
ひとり酒 建てし男に 幾歳秋

国道122号沿いの道祖神

東村沢入の道祖神 右から

東村沢入の道祖神 左から
太郎神社

双体道祖神と根性大明神

東村神戸の双体道祖神

東村神戸の道祖神

わたらせ渓谷鉄道の神戸駅の少し南に下った、
国道122号線の左側にある太郎神社の境内にあり、
境内の右手の国道との間に男根の姿の根性大明神とともに建っています。



左の男神は徳利を、右の女神は酒器を持ち、
肩を組んでいる双体道祖神(明暦年間建立)です。








太郎神社の社には、大黒様が祀られており、面白い仕掛けがあります。
そちらは、「渡良瀬川踏破シリーズ 神戸〜大間々」でも紹介しています。
かつて、このあたりは歩いた実績があります。


 
銅山道(あかがねみち) 社を守る ふたり神

黒保根村上田沢の道祖神

国道122号を南下し、
水沼の交差点から、西の道路を上ってゆくと、
初め林道の趣きですが、やがて広い台地に出ます。
赤城山の裾野部分になるのですが、広いですね。

上田沢橋を過ぎ、さらに進み、
田沢川の渓谷の道を遡ってゆきます。
ガソリンスタンドを左に曲がり、
断崖の道祖神橋の手前にクルマを停め、歩いて訪ねます。

道路の左の下は、田沢川の渓谷となっており、
道祖神橋を渡ります。


渡りきったところから、左に上る道があり、辿ってゆくと、
右手に石仏や石塔が立っています。













そして、その先に「双体道祖神 80m先」の案内板が見えます。









田沢川の渓谷と畑の間のヤブ道を田沢川沿いに少し行くと、
広場の片隅の草むらのところから、林間の山道が延びています。







クルマで走ってきた、現在の道路が造られる以前は、これが生活道路だったのでしょう。
その山道の傍らには石仏が並んでいます。







大きな岩の前に庚申塔などといっしょに道祖神があります。









男神は徳利を、女神は酒器を持ち、
肩を組む双体道祖神(安永年間建立)です。








保存状態もよく、うつむき加減の男神、ほほ笑む女神の表情がよくわかります。


   
田沢川 昔日の道 神の秋

道祖神橋と田沢川渓谷
左上にクルマと道祖神橋

右上の道へ

道端にたくさんの石仏や石塔

双体道祖神 80m先の案内板

畑の脇を進む

昔の街道だった

道の傍らに石仏群

黒保根村上田沢の双体道祖神

ほほ笑む表情
昼食のベンチ

亀石

亀石

国道122号へ戻る道すがら、
突然道の傍らにテーブルとベンチが置かれた場所がありました。





亀石と書かれた看板と、その亀石がありました。
確かに亀の姿をした石です。
ということで、あまりきれいでない場所だったのですが、ここでひとり昼食です。ついでに少しゴミを片付けてきました。

黒保根村宿廻の道祖神

水沼の交差点から国道122号に戻り、
わたらせ渓谷鉄道の本宿駅近くの宿廻交差点から、西に入ってゆきます。




笹後沢橋を渡り、しばらくして、左折し、
民家を抜けたところの杉林に双体道祖神の案内板が立っていました。





しいたけ栽培の原木が並ぶ中に、男神と女神が荒縄で縛られ、肩を組み手をつなぎ合う双体道祖神(建立年不明)があります。








円形の造形で、
本体が真ん中から割れてしまっているのは残念ですが、身体を縛りあう、という珍しいものです。


   
手を結び 縛り合う神 蔦伸びる

先の杉林に

双体道祖神の案内板

黒骨村宿廻の双体道祖神

 
要害山登山口

山頂へ向かう

要害山神社

大間々町高津戸の文字の道祖神
大間々町高津戸の道祖神

国道122号を大間々町まで戻り、
町の東の要害山へ向かいます。
ここは、以前、「高津戸峡〜要害山」でも紹介しています。

同じ道で山頂の神社まで登ります。











神社の背後に石塔がいくつか並んでいます。










その中に文字の道祖神が立っています。
双体道祖神もあるらしいのですが、見つかりませんでした。


   
渓谷の 山道辿る 秋の影
笠懸町西鹿田の道祖神

大間々から、笠懸にクルマを走らせ、
岩宿の西の西鹿田にある長昌寺を目指します。
天台宗の寺で、門前の駐車場に車を置かせていただき、道祖神を探します。



本堂の左に双体道祖神が置かれています。
自然石に、雲の上に、左に男神、右に女神が彫られ、ふたりが足を合わせているのでしょうか、
なかなか微笑ましい姿です。
これは、近くの工事現場で見つけられたものをここに運んできたものです。













さらに奥に小さな古墳があり、
そこにたくさんの石塔、石仏が立っています。








その道路沿いに文字の道祖神(弘化年間建立)があります。
大きなもので風格があります。

    
雲上の 双神両手に 落葉風







渡良瀬川流域に沿って、道祖神を訪ねて、足尾の沢入からみどり市の笠懸まで下ってきました。

3年前に「渡良瀬川踏破シリーズ」で歩いた道でもあり、あのときの思いもよぎる懐かしい道でもありました。
長昌寺

笠懸町西鹿田の双体道祖神



笠懸町西鹿田の文字道祖神




 
桐生川沿いの道端に

石鴨の双体道祖神
桐生市梅田5丁目(石鴨)の道祖神

上記を訪ねた際には、場所が離れているために保留していた桐生川上流の道祖神です。






極めて珍しい、亀に乗った道祖神です。建立は、宝暦4年。
こんな山深い沢沿いの地にも造ったのですね。(2011.5/8 追加)

 >> 道祖神と出会う 渡良瀬川篇 その2へ続く。

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