桐生まちなか歩き - わたらせからの風 桐生近辺の山々
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桐生まちなかマップ
   
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桐生は、筆者が学生のころ通ったまちですが、当時は知りえなかった、というよりもほとんど興味もなかったのですが、織物に関する近代化遺産がまちなかに数多く残っています。それらの遺産の数々を訪ねて歩いてみました。
近代化遺産とは、江戸末期から第二次世界大戦終了まで近代化手法により造られた産業・交通・土木に関わる建造物です。

秋深まる季節の折から、七五三、そして「桐生ファッションウィーク」の当日ということで、いろいろなイベントにめぐり合い、いろいろな人とも会うことができました。(取材日:2009.11/1 日)

イベントが開催されている当日ということもあり、まちなかは遠慮して水道山記念館の駐車場をスタート地点に設定しました。
ここは、なかなか判りにくい場所ですが・・・。
 
【桐生まちなか歩きスケッチ】

11月の最初の日曜日に桐生ファッションウィークの一環で「両毛5市麺バトル」なるイベントが開催されることを知り、それを昼食として、桐生のまちなかあるきを実行することにしました。

クルマは、イベント期間中ということもあり、まちなかへの駐車は遠慮して、水道記念館にクルマを置き、スタートです。

8時半ころ到着すると、記念館の前でひとが何やら準備をしています。実は、「JR駅からハイキング」の当日でもあったのです。

麺バトルが11時から開催ですので、それまでにまちの南側の近代化遺産のポイントを巡り、麺バトルの会場である有鄰館を目指します。麺バトルは、¥500で、足利のそば、佐野のラーメン、館林のうどん、太田の焼きそば、桐生のカレーうどんの5種類が食べられるというものです。これはお得です!

足利のそばのコーナーでは、足利蕎麦切り会の事務局から、筆者の勤務する足利商工会議所の新入所員のMさんが対応していました。
筆者が歩いている経緯を説明し、そばを受け取り、まず1食目。

続いて、館林のうどんですが、思いがけず関東風でなく、関西風のだしつゆで、なかなかおいしかった。
というところで列のできはじめている佐野ラーメン。あいかわらずの味です。
だんだん味の濃いメニューへ移り、太田の焼きそば、桐生のカレーうどんと食べ進みます。

結論としてわかったのは、後者のふたつは、たぶん店によって、味が大きく異なる。あるレベルで店の間での味の差が小さい前者の3種類が無難ということがわかりました。

いずれにしろ足利から応援のMさん、ごくろうさまでした。

会場の有鄰館の狭い路地に地場の店が出店しており、その中で、お茶、十六穀米等の変わった味のふりかけを販売している方としばらく歓談。
筆者が仕事で支援している十六穀米のドレッシングを扱えないか提案しておきました。

昼食が終われば、あとは水道記念館に戻るのみ。水道山に登ると、記念館の前には、法被を着た「JR駅からハイキング」の案内の方が手持ち無沙汰で立っておられました。
ハイキングのひとももうほとんど通らないようすでした。聞くと、11時半の電車で駅に到着し、最初のポイントが水道山で、500名の申し込みがあり、12時現在で300名くらいとのこと。

いろいろ話をしていると、NPO「桐生再生」の理事の方で、普段は桐生駅で市内の観光ガイドを行っているそうです。
足利というと、観光資源に恵まれていて良い、と云われるのですが、実はそうでなく、中途半端な観光資源に縛られてしまっており、逆に難しいことを説明。

そこへ桐生市役所のクルマがやってきました。
運転しているのは、日頃ロケのエキストラ出演でお世話になっている、わたらせフィルムコミッション事務局のKさん。なんと桐生市役所観光課の職員なのだそうです。ロケのエキストラの世話の仕事がうまく進められるのも、そんな仕事から、と納得。

最後に水道記念館の内部見学で、管理をしている女性としばし歓談。記念館のとなりの建物に住んでいるそうです。

以上で、本日の歩きは幕となるのですが、いろいろなひとと会い、なかなか面白い一日を過ごせました。


水道山記念館

テレビドラマ「
明智小五郎対怪人二十面相」のロケ等でも使われた
水道山記念館に8時半ころ到着しました。

  >> 詳細は、「わたらせメディア紀行 桐生

趣きのある建物は、昭和7年の建設で、垂直線を強調した概観、外壁のスクラッチタイル、屋根はスペイン瓦です。
館内には、桐生の水道事業の資料が陳列されています。

    開館時間 9:00〜17:00
    休館日  月、火、12/29〜1/3
    入館無料

記念館は、9時から開館なのですが、建物の前では、人が何やら準備をしていました。
JR駅からハイキングの通過ポイントとなっているようです。
桐生ファッションウィークは、あらかじめ知っていたのですが、こちらのイベントは知りませんでした。
JR桐生駅に11時半に着く電車で訪れ、まず水道山に登ってくるそうです。
また、水道山の広場では、豚汁をふるまう用意しているそうです。

水道山記念館
大川美術館

急坂を下る

大川美術館

先を急ぐ筆者は、大川美術館の前の道をまちなかに下ってゆきます。

   開館時間 10:00〜17:00
   休館日  月
   入館料  一般 \1,000


結構、急な坂を上らなければ、記念館、美術館には来られないので、当然下りも急な坂道です。

桐生第一高校

下った先の道路は、桐生の西の山手通りです。
ちょうど桐生第一高校のところに出ます。
桐生第一高校といえば、1999年の夏の甲子園で優勝しました。

桐生第一高校
上毛電鉄 西桐生駅

西桐生駅

道路を右折し、ゆるやかな坂を下ってゆくと、上毛電鉄の西桐生駅。
この駅もいろいろなテレビドラマのロケで使われています。

  >> 詳細は、「わたらせメディア紀行 桐生

実は、この道は、管理人が足尾に向うときに使う道です。

桐生織物記念館

駅前の交差点を左折し、歩いてゆくと、右手に長崎屋があり、その東隣りが桐生織物記念館です。ここまで15分くらいです。

内部には、ジャガードの手織機が展示され、地場産品を販売しています。

   開館時間 10:00〜17:00
   休館日  毎月最終週の土、日。8/13〜16、12/29〜1/3
   入館無料

ここも、テレビドラマのロケ等で使われており、筆者も「
ロス:タイム:ライフ」のロケセット解体のアルバイトをしたり、「鉄道捜査官」のエキストラ出演をした場所です。

  >> 詳細は、「わたらせメディア紀行 桐生

桐生織物記念館
金善ビル

金善ビル

本町通りまで出て、南下します。
通りの西側に5階建ての金善ビルが古風豊かな容姿で建っています。
大正15年に建てられたのですが、当時の高層ビルだったのでしょうね。

桐生倶楽部

本町五丁目の交差点を左折すると、大正8年建築の桐生倶楽部が道の南側に建っています。オレンジ色の屋根瓦、ベージュの壁の英国風の建築です。

桐生倶楽部
織物参考館”紫”

織物参考館 ”紫”(ゆかり)

東小学校の角を左折し、北上すると、織物参考館”紫”です。

春にエキストラ出演した「
鉄道捜査官」でもロケ地として使われました。

  >> 詳細は、「わたらせメディア紀行 桐生

   開館時間 10:00〜16:00
   入館料  \700

渡辺崋山 妹 茂登 墓所

織物参考館から東に向かい、少し広い道路に出、北に向うと、
日限地蔵尊があります。

その前に右手の駐車場の隅に何やら、石柱が立っています。



「渡辺崋山 妹 茂登 墓所」と記されています。

渡辺崋山の妹が桐生に嫁し、その縁で渡辺崋山も桐生、足利を訪れ、近辺の山々を歩いています。
その内容が記されているのが、「
毛武遊記」です。
深高山、石尊山・・・

  >> 詳細は、「わたらせメディア紀行 桐生

渡辺崋山 妹 茂登 墓所

石碑

墓所
日限地蔵尊前の茶店

日限地蔵尊本堂

御足参道

日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)

道路のはす向かいに日限地蔵尊の諏訪山観音院があります。
織物記念館から、25分くらい歩いてきました。

入り口には、かつて参拝のひとも多かったであろうことを感じさせる、土産物も置いている茶店があります。懐かしい雰囲気です。



境内は、正面に本堂、左手に地蔵尊があり、線香の煙もたなびいていました。
観音院は、正保元年(1644)開山。本尊は、聖観音菩薩。
関東八十八ヵ所霊場十番の寺で、毎月24日に縁日が開催されています。

さて、日限地蔵尊のいわれですが、村の機屋に毎晩のように大入道が現れ、気味悪がって、ある晩鉄砲で撃ってしまいます。その血の跡を辿ると観音院まで続いていました。
その夜、機屋の主の夢の中に地蔵様が現れ、毎夜現れたのは、主の家を守るためだった、そして自分のお堂を建てて欲しい、そのときに、日を限って願掛けすれば、かなえてやる、と告げました。
主は、さっそく地蔵堂を建てました。それが日限地蔵尊です。
従って、地蔵の方には、鉄砲の跡が残っているといいます。

境内には、ベンチなどもあり、休憩に最適です。

また、境内右手には、御足参道があり、短い距離でコンパクトにお百度参りが実現できるようになっています。

アートホール鉾座

日限地蔵尊を後にし、西に向かい本町通りに戻ります。
途中、レンガ敷きの小公園があり、ちょっと雰囲気がよい。





通りに出ると、西側にアートホール鉾座。
この日は、八木節の実演が行われていました。

レンガ敷きの小公園

アートホール鉾座
桐生信用金庫本町支店

桐生信用金庫本町支店

本町通りを北上します。
道路西側に桐生信用金庫本町支店の復古調の建物が見えてきます。
ステンドグラスがはめ込まれ、塔屋の頂には風見鶏。
しかし、昭和62年の建造物です。

いつも、筆者は、この交差点を通過して、足尾の山に向かいます。

翁蔵

道路右手に翁蔵があり、祠とベンチがあります。
桐生祇園祭りの翁鉾の蔵です。






祠の隣には、立派な金精様です。
まちなかに堂々と鎮座する姿は、すばらしい。

翁蔵と祠

金精様
矢野本店

矢野本店店舗

その先に、矢野本店店舗。日限地蔵尊から、ここまで30分強でしょうか。
ここには、幕末から大正に至る建物が存在しています。

いまも店は開いていて、米や味噌などを販売しています。

有鄰館

矢野本店の土蔵、煉瓦蔵群である有鄰館は、
かつての酒、味噌、醤油などの醸造を行っていた明治・大正期の建物群であり、現在は多目的イベントスペースとなっています。

「有鄰」は、孔子の「
徳孤ならず必ず鄰あり」という故事から引用された言葉で同本店の商品名にもなっているそうです。












当日、「両毛5市麺バトル」が開催されていました。
多くのひとが醤油蔵とビール蔵の間の広場に集まり、足利のそば、佐野のラーメン、館林のうどん、太田の焼きそば、桐生のカレーうどんを食していました。管理人もそのひとり。

有鄰館

蔵の内部

麺バトル会場
からくり人形館

「忠臣蔵」の人形

からくり人形館

有鄰館の最奥のビール蔵は、現在からくり人形館となっています。
明治27年に江戸浅草の人形芝居が幕を閉じたとき、桐生がそれを受入、天満宮のご開帳にときに水車の動力によって演じたそうです。
その後途絶えてしまったのですが、平成11年に復活させたものです。

「曽我兄弟夜討」、「宇治川戦陣」、「巌流島」、「吉祥寺恋之緋桜」、「助六由縁江戸桜」、「忠臣蔵」等の演目があります。
なお、毎月第一土曜日に実演されます。

玉上薬局

有鄰館から、さらに本町通りを北上すると、玉上薬局。
幕末の文化3年(1804)に建てられたという、妻入りえびす造りの町屋です。





先を歩いてゆくと、「群大生の夕食」というメニューの掲げられている食堂がありました。
桐生は、群馬大学工学部がある学生のまちでもあるのです。

玉上薬局

天満宮の石鳥居と交差点

天満宮の交差点

10分ほど北上し、天満宮の石鳥居が見えたら、交差点を右折します。

ベーカリーカフェ・レンガ(旧金谷レース工場)

道路北側にベーカリーカフェ・レンガがあります。

金谷レース工場の建物を利用したパンの製造販売とカフェです。





同工場は、大正8年建築の桐生に現存する唯一のレンガ造りのノコギリ屋根工場です。

ベーカリーカフェ・レンガ

ノコギリ屋根工場
旧住善織物工場

旧住善織物工場

その右前方にあるのが、
大正11年建造の鉄筋コンクリート造りのノコギリ屋根工場。

旧斎憲テキスタイル工場

中通りの反対側に見えるのが、
昭和2年に建築された大谷石造りのノコギリ屋根工場。

この地区で材料の異なるノコギリ屋根工場を続けて見ることができます。

旧斎憲テキスタイル工場
群馬大学同窓記念館

記念館内部

クラッシクカーフェスティバル

群馬大学工学部同窓記念館

通りに戻り、天満宮を左に見ながら、さらに北に歩くと、群馬大学です。
群馬大学は、前身が桐生高等染織学校であり、その講堂が同窓記念館として残されています。






建物は木造2階建てですが、ハンマービームと呼ばれる屋根構造で、教会のような雰囲気をもっています。そのため、映画やテレビドラマのロケ地としても、よく使われています。

  >> 詳細は、「わたらせメディア紀行 桐生






当日は、クラッシクカーフェスティバルが開催されており、構内に多くの昔のクルマが展示され、たくさんのひとで賑わっていました。

桐生天満宮

向かいにある桐生天満宮に裏手から入ってゆきます。
社殿の細やかな彫刻がよく見えます。






この社殿は、天正(1573)から慶長(1615)年間のものといわれ、桐生で最古の建築です。








毎月第一土曜日に北関東一の骨董市が開かれています。

11月の時期で七五三のお参りも多く見られました。

桐生天満宮社殿の彫刻

桐生天満宮

参道
森合資会社事務所

森合資会社事務所

さて、ここから、南に下ってゆきます。
レンガ造りの建物は、大正3年の洋風建築です。

無鄰館(旧北川織物工場)

その隣の無鄰館は、旧北川織物工場です。大正時代の建物群です。
さて、ここから、南に下ってゆきます。
無鄰館
旧曽我織物新工場 旧曽我織物新工場

無鄰館の裏手にある、大正11年建築の大谷石造りのノコギリ屋根工場です。
さて、ここから、南に下ってゆきます。
坂口安吾 千日往還の石碑

本町通りに戻ると、花のにしはら(旧書上商店)の隅に石碑が立っています。
「堕落論」等を書いた作家の坂口安吾は、昭和27年から30年まで、桐生に在住し、この地で息をひきとりました。

ここから、西の山手通りへ移動し、水道山に戻ることになります。
3時間強のコースでした。
改めて、歩いてみると、桐生にはホントにノコギリ屋根の多いことがわかります。
これらの遺産を残していたことに感心するとともに、これらの近代化遺産を活かしたまちづくりができるものと思いました。

同じ織都でもある足利とは、また違った趣きのまちです。
坂口安吾「千日往還」石碑
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