要谷山 - わたらせからの風 近隣の山々
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要谷山 地図へ

マップ根古屋森林公園
要谷山
なかなか森林公園内ということで足を運ぶ機会もなかったのですが、
公園のハイキングコースとなっている展望台(要谷山城跡、すなわち要谷山)に向かって登ります。
要谷山は、田沼町飛駒に残る山城で、山頂付近は、東西約16m、南北約17mの規模の主郭で、周囲には曲輪が配置されています。
主郭の周囲の石垣は、いまも残ります。
天文元年(1532)の頃、佐野越後守義照が居城し、その後、足利長尾氏方の小曽根筑前守によって落城しました。
要谷山の北西山麓の館跡が根古屋館跡で、東西約43m、南北約37mの規模で曲輪があります。
しかし、館は要谷山城が落城した後に焼失しました。
その要谷山、根古屋館跡が、現在根古屋森林公園となっています。

公園内のハイキングコースには、いけづき(池月)、するすみ(磨墨)といった馬の名前が使われています。
この2頭の馬は、平家物語に登場する名馬で、その産地がここ飛駒だったといわれます。

治承年間(1177〜1181)、源頼朝の平家討伐の挙兵のために、この地域で馬狩りをしました。捕獲した2頭、いけづき、するすみに乗馬した佐々木高綱、梶原景季は、宇治川の戦い(1184)で活躍します。
野生の馬が走るようすから、「飛駒」、そしてするすみが静かになったことから、「閑馬」という地名がつきました。

実は、筆者は高校時代の部活動で飛駒の馬の民俗調査をしたことがあります。夏休みに、自転車で足利から須花峠(当時は大正トンネル)を越え、飛駒小学校に合宿し、家々に残る馬具、競馬場、馬の墓場などを調べました。そんなことからも思い出のある地域です。標高 400m(取材日:2012. 6/ 5 火)

田沼町から県道66号線で北上し、
彦間浅間山を左に見て、しばらくゆくと、案内板がでていますので、右折すると、根古屋森林公園です。


根古屋森林公園

駐車場に隣接して遊具のある広場、芝生があり、
公園入口を入ると、
中央にモニュメント、右に根古屋亭があります。




根古屋亭は、土日営業でそばが食せます。

根古屋森林公園

根古屋亭

 
        多高山
公園から多高山方面の山々

いけづきの道

石灯篭

丸太の階段

いけづきの道

キャンプ場のバンガローが建つ林の中から、
展望台へ向かう「せんげんの道」を登ります。





城跡の名残の石灯篭があり、
しばらくは、丸太の階段が続きます。

 

こんぴらの道分岐

10分ほどで左から「こんぴらの道」を合せます。

こんぴらの道分岐

御寶前の石柱

金毘羅宮

井戸跡

金毘羅宮

分岐から、「奉納御寶前」と記された石柱が残る中を進むと、
小さな社の金毘羅宮が建っています。





屋根も社の中心から右にずれ、前かがみになり、倒れそうです。








その右横に井戸らしきものも残っています。

 

要谷山山頂

さらに10分ほどの山道で要谷山山頂です。
ここが城の主郭です。石垣、曲輪が残ります。





山頂には、テーブル、ベンチ、方位盤があります。








しかし、木立に囲まれているので、展望は、西の多高山のみ。

山頂への道

要谷山山頂

多高山

せんげんの道

崖下の石祠

せんげんの道

下りは、健脚コースの「せんげんの道」を選択してみました。
なかなか急な下りです。





途中、石祠の台座や岩の下の石祠もあり、
これが昔の主登山道だったのでしょうね。

林道へ

15分ほどで、林道へ下ります。
その手前、山道の脇にヤマアジサイがあり、
蕾の状態でしたが、咲くと見事かもしれません。

ヤマアジサイの道

林道へ

こんぷらの道分岐

冒険の森

冒険の森

「こんぴらの道」の分岐を過ぎると、
山腹一帯が「冒険の森」と呼ばれている場所になります。





林の広場の、好ましい雰囲気です。

キャンプ場へ

数分でスタート地点のキャンプ場へ戻ります。






公園の入口にある池の端に小さな石祠があり、
その隣で水芭蕉が一輪咲いていました。








管理棟の隣に根本山神社があります。
根本山信仰の大きさがわかります。
宇都宮の信徒によって寄贈された、天保年間作の鋳物の水屋の水鉢、
火鉢、茶釜が残っていることからもわかります。



根古屋森林公園の名前は知っていたのですが、
なかなか訪れる機会がなく、
歩いてみると美しい林と広い芝生があり、
拾いもののコースでした。

キャンプ場

石祠と水芭蕉

根本山神社

天保年間作の水鉢

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