北関東自動車道
光得寺から、その裏手に抜け出ると、
新しい道路ができています。
このあたりは、北関東自動車道の足利インターチェンジができる場所で、ずいぶんと整備され、周辺のようすも変わってしまったようです。
北関東自動車道の高架をくぐり、
長途路川を渡った北郷橋のところにモニュメント。
(11)北郷桜
多くの北郷桜が地元の桜守に愛護され、咲き誇る。
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奥の院街道歴程
コースは、狭い道を左折するのですが、
先に見える農産物直売所 五郎兵衛のところにモニュメントがあるので、足を伸ばしてみます。
(12)奥の院街道歴程
ばん阿寺と樺崎寺を結ぶ
足利氏の参道沿いに下馬場。
クルマであれば、この先で国道293号へ合流し、
最初の、樺崎八幡宮の案内板のある交差点を左折し、
樺崎八幡宮へ着くことができます。
また交差点を左折すると、
すぐに北の郷の農産物直売所があります。
ここは、ソースかつ丼(\500)が有名です。
結構おいしいですよ。ときどき買ってゆき、昼食にします。
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再び長途路川を渡る
コースは、先ほどのモニュメントの100mくらい手前を左折し、塀沿いの狭い道をゆくと橋があり、再び長途路川を渡ります。
ただし、クルマでは入れない道です。
そういえば、今回のコースは、車が通れない道がほとんどです。
そんなことも、長閑な感じを受ける要因になっているようです。
ここからは、田んぼ道を辿り、樺崎八幡宮のある八幡山の麓へ向います。
山懐に向う途中の道脇にモニュメント。
(13)八幡山の秘宝
朝日さす、夕日輝く・・・詩歌で財宝の隠し場所を暗示?!
このあたりに筆者の退職同期のAさんの自宅が・・・
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山麓沿いに
山麓を東に回り込んでゆくと、モニュメント。
(13)七不思議の井戸
八幡池とつながっているとされる7基の名水井泉。
はて、どこに井戸はあるのでしょう。
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樺崎八幡宮への山道
さらに進むと、山道があり、その傍に樺崎八幡宮のモニュメント。スタートの助戸新山の千歳橋から、2時間半くらい歩いたでしょうか。
(15)樺崎八幡宮
足利義兼建立のばん阿寺の奥の院、
国指定史跡 樺崎寺跡。
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樺崎八幡宮
すぐそばの池では、何やら釣りをする人がたくさん・・・
山裾に沿い、池の畔を歩き、池が途切れると、
樺崎八幡宮の参道です。
道路沿いに石の鳥居が建ち、
そこから参道が延び、本殿の石段に続いています。
参道の右側に広い駐車場があります。
クルマで来ると、ここへ置くことになります。
ここ樺崎八幡宮は、樺崎寺跡で、中世を代表する豪族武士団の足利氏の氏寺跡・廟所跡です。
源姓足利氏二代目の足利義兼が文治5年(1189)に奥州平泉の合戦の戦勝祈願のために、伊豆走湯山の理真上人を開山として創建されたと伝えられています。
足利義兼は、源頼朝の従兄弟にあたり、頼朝の妻である北条政子の妹の時子を妻とする義兄弟です。
源頼朝らは、奥州での合戦の際、毛越寺や中尊寺といった華麗な寺院を見て、自分の領地にも池のある浄土庭園を有する寺院を造りました。
そして、足利義兼は、この地に樺崎寺を建てました。
晩年には、出家し、正治元年(1199)にこの地で没します。
樺崎寺は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて繁栄したのですが、15世紀ころから次第に衰退してゆきます。
江戸時代には、足利氏の末裔の喜連川氏が八幡宮を再建したのですが、明治の神仏分離令により、廃寺となってしまいます。
眼の前の石段の上に白い壁に幔幕が掲げられているのが、本殿です。
裏手に廻ると、社殿の彫刻も覗けます。
本殿の右隣に神楽殿。そしてモニュメントが。
(16)樺崎八幡宮と大々神楽
足利市の文化財 大々神楽16座を
神楽保存会が奉納。
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園池
さきほどの畔を歩いてきた池は、南北約160m、東西約70mあり、
浄土庭園の中心でした。池には中島があります。
実は、現在の池は発掘調査を基に再現した池です。
池の畔も、ところどころビニールで覆われており、作業途中といったようすです。
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多宝塔跡
本殿の左に歩いてゆくと、多宝塔跡があります。
四角く土盛りされており、柱の建っていた跡の礎石がところどころに配置されています。
約5.7m四方の塔跡で、基壇は7m四方の大きさです。
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供養塔覆屋跡
さらに山道の風情の道を先に進みます。
山の岩盤を約4.5m四方の範囲で切り開いて造られた、供養塔覆屋跡です。
3m間隔でくぼみ穴が四隅にあり、建物の礎石が置かれています。
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足利御廟跡
また、先に進みます。
石積みがあり、基壇には砂利が敷かれています。足利御廟跡です。
基壇は、南北約20.2m、東西約6.3m、建物の大きさは、南北約18m、東西約4.2mと推定されています。
古へ(いにしえ)の 堂宇を仰ぐ 礎石かな
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樺崎菅公廟
足利御廟跡から、歩いてきた道を戻り、今度は本殿の右に行ってみます。
少し高台になったところに石碑が立ち、絵馬が奉納されています。
そして、差しかけた丸木に有名な和歌が彫られています。
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春なわすれそ
菅原道真
(18)樺崎菅公廟と飛梅
先人の建立した天神講の菅公廟を再興。学業成就。
境内には、拝観順路が示されており、ここから下ると駐車場です。
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駐車場へ
この駐車場のある場所にも、かつては堂宇が建ち並んでいました。
地蔵堂跡(南北約6.9m、東西約9m)、
経蔵跡(南北約9.6m、東西約6.8m)、
下御堂法界寺跡(6.2m四方)。
樺崎寺跡は、いまも発掘調査が続いています。
この地に、あの平泉の毛越寺のような浄土庭園をもつ寺がありました。
そんなようすを頭に思い浮かべると、遥かな鎌倉時代も身近に感じられるかもしれません。
鎌倉時代の古道の跡を辿り、かつては繁栄したであろう寺院跡に佇み、悠久の歴史の彼方の思いを馳せることができる「奥の院街道」です。
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