足利まちなか歩き ばん阿寺 - わたらせからの風 足利近辺の山々
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足利まちなか歩き ばん阿寺 地図へ

足利は、北に日光・足尾から連なる山々 織姫山両崖山、南に足尾から流れる渡良瀬川と、自然と一体化したまちなかに多くの史跡や寺社が点在しています。

その中心市街地の中に、足利氏の菩提寺である鑁阿寺(ばんなじ。以下、ばん阿寺)があります。本堂には、大日如来が祀られていることから、地元では「大日さま」と呼ばれ、親しまれています。

まち歩きをしながら、これらの史跡を訪れてみます。
前回に続き、足利学校を後にして、ばん阿寺を訪れます。クルマでなく、歩き、ならではの、発見があります。
                              >> まちなかあるきマップは、こちらから。



ばん阿寺参道

ばん阿寺へ向かう参道の脇には、飲食店が並んでいます。
この手前の左の店が映画「
わたしのグランパ」のロケで使われました。

 >> 詳しくは、「わたらせメディア紀行 足利」をご覧ください。

とある店の軒先にかわいらしい石絵が並んでいたりします。









また白塀の蔵(茂衛門蔵)が開放されていたり、小さな公園があります。
ゆったりとした時間の流れに身をまかせるのもよいでしょう。

足利学校からばん阿寺への参道

軒先の石絵

茂衛門蔵
足利尊氏像

足利尊氏像

左手の小さな公園に足利尊氏の像があります。
南北朝時代の戦乱に生きた武将なので、甲冑姿をイメージしますが、この像は衣冠束帯です。ちょっと不似合いなような・・・

参道の町並み

その反対には、風格のある写真館があります。

桐生を中心にロケが行われたTVドラマ「
恋空」で、最終回に主人公の美嘉がヒロの写真を手に、この写真館をでてくるシーンがありました。

 >> 詳しくは、「わたらせメディア紀行 足利」をご覧ください。

TV「恋空」で使われた松村写真館
太鼓橋と仁王門

太鼓橋と仁王門

参道のつきあたりが、ばん阿寺です。
屋根のついた太鼓橋でお堀を渡ると仁王門です。
太鼓橋の下のお堀いんは、大きな鯉が泳いでいます。

ばん阿寺は、建久7年(1196)源姓足利氏2代目の足利義兼が館の中に持仏堂を建て、守り本尊に大日如来を祀ったのが始まりです。
そのため、地元では、ばん阿寺は、「大日さま」と呼ばれています。

3代目の義氏が、38年後に堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域は、広さ4万平方メートルあり、鎌倉時代の武家の館の面影を現在に伝えています。

ばん阿寺は、足利氏宅跡として、大正11年に国の史跡に指定されました。

先に紹介したTVドラマ「
恋空」で、この場所は主人公の美嘉が祭りにゆくシーンで登場しました。

 >> 詳しくは、「わたらせメディア紀行 足利」をご覧ください。

徒然草の石碑

門をくぐった右に寺の伽藍図、左にある石碑は、徒然草の石碑です。


  >> 大日苑散策マップは、こちらから。

ばん阿寺伽藍図
クリックすると拡大表示します。

徒然草石碑
大御堂(本堂)

鐘楼

大御堂(本堂)

左右に並ぶ、大きな石灯篭の先、正面にあるのが本堂、大御堂(おおみどう)です。





右手の木立の中に鐘楼があります。

いずれも国指定の重要文化財です。

左手に大銀杏の木がありますが、江戸時代に縁結びの神木と伝えられ、この木の下でお見合いが盛んに行われたそうです。

お参りをしたら、他の建物も廻ってみましょう。

中御堂(不動堂、護摩堂)

本堂の左にあるのが、中御堂です。

ここには蓋のされた井戸があります。「あかずの井戸」と呼ばれています。

この井戸の水を喉の渇きを覚えた義兼の夫人時子に侍女の藤野が飲ませたところ、妊娠したように腹がふくれてしまいました。

以前から、藤野は、館に身を寄せていた藤原姓足利氏の又太郎忠綱に思いを寄せていましたが、彼に思いをはねられ、恨みをいだいていたので、この機会をとらえ、義兼に夫人が忠綱と不義密通を犯したと言いつけます。

義兼は、逃げる忠綱を足利の北 赤雪山まで追い込んでゆき、忠綱は自刃してしまいます。

このあたりの経緯は、以前「赤雪山」で紹介したことがありますが、それにまつわるエピソードです。

 >> 詳しくは、足利「赤雪山」をご覧ください。

さらに行道山の馬打峠もこれに関係します。

 >> 詳しくは、足利「行道山」をご覧ください。

身の潔白を訴える時子は、自害しますが、その腹の中から、たくさんの蛭が出てきました。
藤野が飲ませた井戸の水に蛭がいて、これが腹の中で増えてしまったのでした。

その水を汲んだ井戸は、それ以来800年の間、蓋をしたまま。
「あかずの井戸」となっています。

中御堂(不動堂)

経堂

加藤登紀子inばん阿寺

経堂

中御堂の西隣にあるのが、経堂です。
義兼は、夫人の供養のために一切経会を修行する道場として建てました。

黄色というか、黄土色が鮮やかな堂です。

現在内部には、一切経2千余巻を収蔵し、足利歴代の木像が安置されています。
タイミングがよければ、内部を拝観できます。有料。

秋には、北側の広場を利用し、恒例の薪能が開催されます。
2015.9/13は、「加藤登紀子inばん阿寺」コンサートも 。

多宝堂

経堂の南側の大銀杏のとなりにあるのが多宝堂。
2層の屋根が見事です。
蛭子堂(時姫堂)

蛭子堂(時姫堂)

中御堂から、背後の広場を挟んで、北にあるのが蛭子堂です。

足利義兼は、夫人の霊を慰めるために蛭子堂を建て、自身も頭を丸め、出家し、ばん阿上人を名乗り、館をばん阿寺とします。

ちなみに夫人時子は、源頼朝の夫人である北条政子の妹です。

校倉(大黒堂)

蛭子堂の左にあるのは、大黒堂。
もともとは宝物庫でしたが、後に大黒天を祀っています。

奈良の正倉院と同じ校倉造りの小さなお堂です。
校倉(大黒堂)
大酉堂 大酉堂

その隣が、大酉堂です。
足利尊氏の木像を祀り、大酉大権現が本尊です。
商売繁盛、福の神として信仰されています。
御霊屋(赤御堂)

もっとも左(西)にある朱色のお堂は、御霊屋です。
義兼の父である義康、祖父である義国を祀っています。
御霊屋(赤御堂)
北門(薬医門)

じけんち通り

北門(薬医門)

東西に並んだ、これらのお堂の右(東)に北門があります。

義兼の子 義氏は、鎌倉時代にばん阿寺の周囲に12の支院を建てますが、その中で筆頭にあったのが千手院であり、その寺の門が、この北門です。
千手院は、ばん阿寺の西、現在の足利幼稚園のところにありましたが、その門を現在の所へ移築されました。江戸末期の門です。

北門から、北に延びる道には、白塀や蔵の町並みが続きます。
この通りでは、3〜12月の第2日曜日に「じけんち市」と呼ばれるフリーマーケットが開かれます。

通りを南へ

再びばん阿寺に戻り、西門から、寺の外に出ます。
やはり、お堀には、たくさんの鯉が泳いでいます。
1メートルもあろうか、という大きな鯉もいます。





通りを左(南)に50mほど歩き、右(西)に延びる通りが、北仲通りです。
この道に沿って、織姫神社へ向かいます。
お堀の鯉

中橋通りから北仲通りへ
道標

道標

交差点の向こう側 足利小山信用金庫の角に、直進 足利市立美術館、右 織姫神社の道標があります。

続きの北仲通りは、次回紹介します。
ぜひ、足利のまちなか歩きで、新しい発見をしてみてください。

 >> 足利まちなか歩き 北仲通りへ続く。。

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