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石尊山(桐生) |
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桐生市川内町の石尊山は、仁田山城の跡です。 この近辺は、赤萩の丸山等を含め、赤萩城と総称されていたようです。 仁田山城主の里見上総之介勝廣は、桐生家の家臣に加えられた外様でしたが、桐生城(柄杓山城)の出城である当地域の城主に任ぜられます。有名な里見兄弟 里見勝政・勝安兄弟が生まれたのは、この城内でした。 桐生家の家臣間の内紛が起き、勝廣は息子を越後の上杉謙信の元に預けます。その二年後、桐生勢に攻められて、仁田山城は落城し、勝廣は無念の死を遂げてしまいます。ここから里見兄弟の敵討が始まります。 石尊山 標高 520m(2013.11/ 9 土) 追加 橋場ルート(2014.5/2 金) |
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【三堂坂ルート】 地図へ |
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庚申堂 |
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石尊宮灯篭 |
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登山口 |
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朱鳥居 |
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道なき参道 |
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石祠 |
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鐘楼 |
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石尊宮 |
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【橋場ルート】 地図へ New 実は、駒見山を目指して、登山口である橋場バス停を左に入った登山口に2013年秋から2度ほど通ったのですが、砂防ダム建設の工事中でした。その2度は断念して、さすがにもう完成と思われる今回で再々訪です。ということなので、実は、山頂に着くまで駒見山のつもりです。桐生市川内5丁目の橋場バス停の左の道に入ります。少し上ると空き地があり、クルマ5台くらいは停められるでしょうか。 |
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橋場登山口
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山神社 砂防ダム建設で一部が舗装されていますが、すぐに砂利道です。 5分ほどで右に鉄製の小さな朱鳥居と 小さな石祠の山神社があります。 |
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分岐 山神社を過ぎると、二手に分かれます。 沢を渡り、左に向かいます。 |
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また分岐 続いて、またまた分岐。 たぶん右に山へ向かう道が砂防ダムへの道。 ということで、左へ。 |
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ツキノワグマ捕獲用檻 山神社から、5分。 狭い園地があり、獣の捕獲用檻が置かれています。 ふつうイノシシかと思うのですが、 なんとツキノワグマ用と記されています。 イノシシ用より小さいのですが・・・。小熊用? |
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植林地の作業道 杉の植林地の中の作業道を電光を切って、登ってゆきます。 しかし、なんとなく南に寄り過ぎているような感じがします。 あとで道を誤ったことがわかりますが・・・ |
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支尾根へ 作業道も終わり、右に延びる草付きの支尾根へとりつきます。 よく赤テープが付けられていたりするのですが、 ここは全くなし。 しかし、テレビケーブル敷設の白い杭がところどころにあり、 最後はテレビアンテナに辿りつくと思うと、ちょっと安心。 南斜面に山ツツジが咲いています。 今年は、ヤシオ山のアカヤシオに始まり、 ツツジを随分見たように思えます。 |
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テレビアンテナ ツキノワグマの捕獲用檻から25分。 案の定、テレビアンテナが設置されていました。 しかし、VHF用のアンテナで周りも木立に覆われて しまっています。いまは使っていないのでしょうね。 |
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3つの石祠・山頂 木立の中、急な登り坂を越え、頂きを目指します。 7分ほどで、3つの石祠のある場所へ到着です。 すぐ右手が山頂。山頂は、展望もなく、縦長のかたちです。 ここも山ツツジがあちらこちらに咲いています。 |
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鐘楼 下りにかかり、右手を見ると、鉄の枠に吊下がった鐘楼が・・・ なんとあの石尊山の鐘楼ではありませんか!? ということは、どうも南に向かって登っている感じでしたが、 駒見山の南の石尊山へ来てしまっていたことになります。 図らずも石尊山の橋場ルートの紹介になってしまいました。 以前は、三堂坂から道なき道を登ってきましたが、 こちらのルートの方が判り易いでしょうか。 いずれにしろあまり登らない山になってしまっています。 帰路、建設された砂防ダムを見に行ってみました。 ふたつ造られています。 さらに沢沿いに道が延びているので辿ってゆきます。 結構登った先に尾根が見えます、そこが駒見山のようですが、 途中から荒れた山道となり、引き返してしまいました。 どうも宿題が増えてしまったようです。 |
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