柄杓山- わたらせからの風 桐生近辺の山々
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柄杓山(城山) 地図へ

桐生の柄杓(ひしゃく)山は、地元では城山と呼ばれ、春には桜の名所となっています。といってもクルマで簡単に、というわけにはいきませんが・・・

柄杓山城は、観応元年(1350年)に桐生国綱(後桐生氏初代)が築きました。
桐生川扇状地の両袖の高地である西方の丸山砦、東方の浅間山砦を結ぶ下瀞堀を南端として、北端の物見山砦までの一帯を城郭としていました。

城跡は、柄杓型の悌郭構造で、堀切は深く、武者屯、郭馬出しなど城跡の全てが完全に残っています。
天正元年(1573年)、金山城主由良成繁によって柄杓山城は攻められ、桐生氏は10代桐生親綱を最後に滅亡し、由良成繁の居城となりました。成繁の死後、嫡子国繁が城主となりましたが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原攻めでは、北条氏政の軍に属したため、小田原城の開城後、常陸国牛久へ転封となり、柄杓山城は廃城となった歴史があります。
柄杓山 標高361m。(2006.1/15、2015.5/1 土)



城山林道へ

桐生市内から、県道66号線を北上し、
群馬大学、桐生女子高を過ぎた梅田から、
左手の狭い林道を上ってゆきます。

林道入口には、
「桐生桧杓山城址入口」の白い案内柱が立っています。
2016.5/8現在、案内柱はとりはずされております。New
碧雲寺の案内板に従うか、
ここより南の柄杓山城跡案内図のある場所から
城山林道に入ってください。


その隣には、天保年間に立てられた根本山を案内する道標です。
裏には、「依是 根本山 四里」柄杓山は、城跡です。

柄杓山入口

根本山道標

   

根本山神宮

根本山神宮社殿

根本山神宮

麓の道を緩やかに左にカーブして進むと、左手に神社があります。
根本山神宮です。なかなか立派です。

根本山信仰は、このあたりの麓の地まで神社が広がっていたのですね。一方佐野では、彦間にも神社があります。
駐車場

狭い林道を走っていった先には、
思いのほか広い駐車場があります。
しかし、注意して走ってください。
トイレもあります。

駐車場

柄杓山遊歩道案内

車両進入禁止

登山口

登山道

駐車場からは、舗装路を行くのですが、
すぐ車両進入禁止で塞がれています。

それを越えてさらに進むと、
右へ曲がる場所に柄杓山城址遊歩道の案内板が立ち、
直進は塞がれています。
その右に山道が延びています。そこが登山口です。

実は、ここが以前来たことがあるような場所に思えたのですが、雰囲気が変わっていて、そのまま右は折れ、進んでいってしまいました。最終的には大形山の下まで・・・ということでUターンして戻ってきて、ここから再スタートです。

   
展望地

山道の左は、以前は何やら工事をしていたのですが、
いまはただの空き地となっています。





しかし、そのために東の展望が開けています。
仙人ヶ岳へ連なる三角山前仙人ヶ岳が見えます。

展望の道

東の展望 三角山、前仙人ヶ岳

   
あずまや あずまや

5分ほどで右にあずまやがあります。

以前に来たときは、植林地で若木が並んで植えられていたのですが、今回はそんなふうではなく、木立となっていました。時の流れを感じました。
三の丸跡、堀切跡

尾根道に向かうと、そこが三の丸跡です。






道の脇にはロープも張られています。

三の丸跡

ロープが張られている

   
二の丸跡 二の丸跡、堀切跡跡)

さらに進んで二の丸跡です。

山頂(本丸跡)

山頂を東から回り込むように進み、
広い本丸跡の山頂に到達します。

























中央に柄杓山城址の石碑が。その手前に四等三角点。
周りは、手摺で囲われ、
いまはの赤白桃色のツツジが取り囲んでいます。

















展望は、木立やツツジが邪魔をし、いまひとつですが、
ツツジの先に桐生市街が見えています。

30分くらいで登れる、お気軽コースです。
お散歩にいかがでしょうか。

木の階段

山頂を回り込む

柄杓山山頂

柄杓山城跡の石碑

四等三角点

ツツジ越しの桐生市街

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