古河総合公園
公園の東に広い駐車場があります。
8:30と朝早いということもあり、クルマも人も少ない。
パークフロントは、広々とした道の両側に並木が整備され、解放感があり、春の青空が広がっています。
道の中央の歩道にメリナメルクーリ国際賞受賞記念碑が立っています。
メリナメルクーリは、「日曜はダメよ」等の映画に出演したギリシャ女優です。これは、文化景観保護と管理の賞ですが、彼女がギリシャの文化大臣を務めていたこともあり、彼女に因んで制定されました。
この公園は、室町時代の足利成氏(しげうじ)の館跡です。
彼は、鎌倉公方でしたが、幕府と反目し、古河の地に移り、5代130年にわたり統治が続きます。
>> 古河総合公園のマップは、こちらから。 |


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御所沼
エントランスを通り抜けると、
目の前に大きな沼、
湖畔に植えられた芝の緑が清々しく広がる景色です。
御所沼です。
花桃の 水面に映る 館跡 |
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桃林
北側に古河を有名たらしめる桃林が広がっています。
まつり開催期間は終わったのですが、まだまだ花は見頃でした。
桃林の中に、赤御影石の若杉鳥子・長塚節の歌碑がふたつ並んで立っています。これは、下妻在住の詩人 横瀬夜雨宅で、節が鳥子の写真を見て魅了され、短歌を夜雨に託したことによります。
左側が節の鳥子を詠う歌 二首
まくらがの 古河の桃の木 ふゝめるを
いまだ見ねども われこひにけり
紅の したてりにほふ もゝの樹の
立ちたる姿 おもかげに見ゆ
右側が鳥子の二首
み歌今 割れなき家の 文筥に
忘られてあり 身は人の妻
まくらがの 古河の白桃 咲かむ日を
待たずに君は かくれたまへり
小生も一句。
桃林 色を重ねて 花吹雪 |




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民家園
公園の南側には、民家園として、旧い民家が移築されています。
県文化財である旧中山家は農家、国の重要文化財である旧飛田家は曲がり屋です。
その南には茶畑があり、
その緑の先に薄桃色の桜がまだ咲いています。 |
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古河公方館跡
民家園の先が、古河城の別館であった古河公方館跡です。
御所沼に突出すように森となっており、
公方の森と呼ばれるそうです。 |
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虚空蔵堂
30分ほど公園内を散策し、
これから国道354線に出て、市街に向かいます。
途中、公園の並びに子安地蔵堂があり、
その先に朱の灯篭、朱の「十三歳詣」と記された幟が立つ虚空蔵堂があります。
「十三歳詣」は、旧暦3月13日に数え年13歳になった少年少女が元服を迎え大人になったことに感謝し、万物の福徳と英知を授かるために、虚空蔵菩薩に参詣する行事です。
小生「足利七福神巡り」で紹介した徳正寺の虚空蔵尊奉賛会会員なのですが、知らなかった!
本堂右手には、水子地蔵が並び、
色鮮やかな風車が春風に回っていました。 |
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旧公園門柱・徳源院跡
さらにその隣に以前の公園の門柱が残っています。
さらに徳源院跡の石碑。
5代足利義氏の娘の氏姫の院号で、
出家した寺があったのでしょう。ちなみに義氏は、館が足利市のばん阿寺で、樺崎寺に隠棲した足利義兼の三男です。 |


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石畳の景観
公園から、
古河歴史博物館のある一角まで北に向かって20分。
石畳の敷かれた趣きのある場所まで来ました。
まちなかに入ってゆくと、いたるところ、石畳があります。 |
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鷹見泉石記念館
噴水・小川のある道路の反対側(南側)、
生垣のある建物が鷹見泉石の旧宅で、
現在は、記念館として公開されています。
屋敷門を入ると、
左手に竹林、正面に玄関、泰西堂と呼ばれる座敷があります。
玄関には、昭和7年の4段雛飾りが飾られていました。
そんなに広い屋敷ではないので、すぐ一回り。
しかし、落ち着きのある佇まいがすばらしい。
石畳 静寂(しじま)の奥の 鷹見館
時を経た 雛の佇む 奥座敷 |




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奥原晴湖画室
記念館に隣接して、
明治時代の南画家の奥原晴湖の画室が熊谷から移築されています。繍水草堂と呼ばれます。
こちらも玄関には、昭和4年の3段の雛飾りが・・・
小さな家ですが、
塀の甍越しに桜が咲き誇っている景色が美しい。 |
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古河歴史博物館
鷹見泉石記念館の北側には、小川・噴水が造られ、
その先に白壁の建物である古河歴史博物館があります。
入口のあずまやには、タバコの吸殻入れもあります。
そういえば、まちなかを歩いていて、タバコの吸殻も落ちてなく、きれいになっているまちだと思いました。
博物館には、古河城、足利氏、土井利位、鷹見泉石関連の展示があるのですが、やはり、有名な渡辺崋山作の鷹見泉石の肖像画でしょうか。といっても実物は、国宝なので、複製です。これは、壬生にもあります。
また土井利位が雪の結晶を研究したことが有名なので、その関連展示でしょうか。 |


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古河文学館
博物館の隣に古河文学館が並んでいます。
古河は、著名な作家も輩出しています。
「黄落」の佐江衆一、「暗黒告知」・「皇帝のいない八月」の小林久三、
「炎環」や歴史上の女性を数多く描いた永井路子・・・。
ここでは、彼らの自筆原稿が見られます。
永井路子は旧宅が残っています。次は、そこを見に行きます。 |
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古河市立第一小学校
文学館の隣りの歴史ある赤レンガの門柱は、第一小学校。
これもすばらしい。
生徒は、何気なく門をくぐって登校するのでしょうが、誇れるものだと思います。 |
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篆刻美術館
家並みの中をさらに北に向かって歩きます。
市内の案内のある角は幼稚園の塀ですが、
そこに雪の結晶のデザインが設えてあります。
街かどに 歴史の香り 雪華模様
通りにでると、
3階建の蔵が篆刻美術館となっています。
篆刻は見てもわからないのですが、
蔵とその内部に興味が湧きます。
蔵は、国の有形文化財となっています。
ちなみに篆刻は、古河市から著名な篆刻家を輩出していることから、古河市民にとって、なじみの深いもののようです。
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永井路子旧宅
さて、篆刻美術館の並びに白壁の永井路子旧宅があるはずなのですが、わかりませんでした。
戻ってみると、工事用の緑のネットに覆われた建物がそうでした。
なんと昨年の東日本大震災で被災し、修理中ということで見学できませんでした。今回の目玉だったのに残念! |
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正定寺
クルマの走る通りを西に進み、
北に向かって参道の延びる正定寺へ行きます。
長い参道の先に、梵字が書かれた朱色の山門、その右には城の石垣のような上に新造の鐘楼。
ここは、代々古河藩主だった土井家の墓所があります。墓所は、墓地の最奥の塀に囲まれたところ。
また本堂脇にお楽の方の供養塔があります。
お楽の方は、4代将軍であった徳川家綱の生母。
江戸から供養塔は移されたもの。 |
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杉並通り
さらに北へ向かい、
古河が武家屋敷の風情を残す写真として使われ場所である杉並通りを目指します。
確かに白壁の塀に生垣がある風景ですが、
写真では、広い通りに思われたのですが、
思いのほか狭い道でした。 |
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日光街道
古河駅に向かうクルマの多い通りに出ると、旧日光街道です。
歩道には、昔ふうの行燈が立てられ、日光街道古河宿のペナントが垂れ下がっています。
古河宿は 花桃飾る 日光道
そんな景色を見ながら南下し、古河総合公園へ戻ります。
歴史ある、趣きの残る町並みが残っており、好ましい雰囲気です。そして、しっかりと歴史遺産を引き継いでいるように思えました。 |
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