岩井山 - わたらせからの風 足利近辺の山々
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岩井山 地図

岩井山 渡良瀬川は、足利の市街地を過ぎると、岩井山に突き当たり、山の南を迂回するように流れてゆきます。そのため、昭和22年のカスリーン台風でこの地区の土手が決壊し、大きな被害がでました。
この場所は、かつてカスリーン台風により、被害がでたところであり、その教訓を生かし、現在は、岩井山に川が突き当たる北側を公園化し、さらにその北に堤防を築いています。

岩井山は、東西160m、南北200mの独立丘陵で、かつて勧農山と呼ばれ、文正元年(1466)足利長尾氏の初代の景人が足利庄の代官として、ここに居城を構えたと伝えられる城跡です。従って城跡なので、平坦な山頂が本丸跡、周りを土塁で囲み、南から東の緩斜面に二の丸、三の丸、北東の本丸直下に大手口。

その後、中世足利の中心地となり、この城をめぐって古河公方と上杉氏の間で戦さも繰り広げられました。景人の没後、長男の定景が在城3年で病死、その弟の景長が家督を継ぎ、永正9年(1512)に両崖山城を修築して居城としたため、岩井山城は支城となります。そして、長尾氏の没落とともに廃城となります。岩井山 標高 51.2m(取材日:2013. 1/28 月)

足利の市街地を通る県道67号線の助戸仲町の交差点から南に向かい、足利警察署を通過し、土手に突き当たるまで進みます。


堤防

堤防の土手には、銀色に輝く「渡良瀬川と共に」と記されたモニュメント、カスリーン台風の供養塔、地蔵菩薩が建っています。

ここは、土手を散歩するひとの良い休憩場所になっているようです。この日もお年寄りふたりがベンチに腰掛け談笑していました。









ここから南に見える独立した山稜が岩井山です。

渡良瀬川モニュメント

カスリーン台風供養塔

岩井山

岩井橋と赤城山

大岩山と袈裟丸連邦

岩井橋

土手の手前で、道は左に曲がり、土手の上に出ます。そこに懸かる岩井橋を渡ります。といっても下に渡良瀬川は流れていません。

橋を渡り、左に向かうと、
渡良瀬グリーンプラザの建物があり、
土手の下にはウォーターパークがあります。
筆者も娘たちが幼いころの夏には度々連れてきていました。

ここから、足利市街地の北西方向に赤城山
その右に袈裟丸連峰が望めます。
1月ですので、それらの山々は、雪で真っ白です。

登山口(赤城神社参道)

渡った橋の右には、岩井山が聳え、
曲がって数十m走り、突き当たると、
そこが登山口である、赤城神社の石段です。ここが城の大手口だった場所と思われます。

石段の左に、「岩井山城跡」と記された案内板が立っています。

岩井山登山口

石鳥居

赤城神社

岩井橋、大坊山、大小山

赤城神社

中央に手すりのついた石段を登ると、
石鳥居があり、くぐり抜けると社殿が建っています。
地味な色合いの落ち着く神社です。












神社の前は、広場となっており、
ベンチもあり、北側の展望があります。
いま渡ってきた岩井橋、
その先に大坊山大小山の尾根が見えます。

金刀平神社石碑

社殿の右側に石段があり、
そこを登ると、 木立に囲まれた中に自然石でできた金刀平神社の石碑が立っています。神社から、見えるので指呼の距離です。












石碑の左右には、踏み跡程度の道があります。
山の中を縦横無尽に道が走っているようです。
小さな山なので、適当に歩いても、迷うことはありません。

山へ

山道

笹の生える道

標石

笹の道

神社は、山の中では、北端にあたりますので、石碑の左、南に向かってゆきます。このあたりが本丸跡でしょう。





途中、「第一區土木監督署」と記された標石が、道の真ん中にありました。

岩井山山頂

山頂の山名板もないので、南北に長い本丸の高みが岩井山山頂でしょうか・・・石碑から、ほんの2、3分です。




さらに南に向かう道、
渡良瀬川の水面も見えて、河原に降りる道もあります。

岩井山山頂

河原も見える

台座?

不明の台座石

神社に戻るために、適当に歩くと、
社殿の裏手にあたる高台の茂みの中に、
石灯篭の台座のような石造物がふたつありました。何であるかは、判りませんでした。

元来た道に戻り、神社の境内に戻ります。

乳房地蔵尊への道

社殿の左に立つ「岩井山城跡」の標柱のところから、
やや登りの道が付けられています。





途中、左に青シートが敷かれた高みがあり、
ここが山頂でしょうか・・・







「乳房地蔵尊近道」と書かれた案内板が立っている笹の道を抜けると、廃屋があります。

乳房地蔵尊への道

岩井山山頂?

乳房地蔵尊近道の道標

地蔵尊手前の廃屋

六地蔵

乳房地蔵尊

人家へ下る道

乳房地蔵尊

廃屋の前を通り過ぎると、
左の覆屋の下に赤い前掛けをした六地蔵が並び、
右に白塀の地蔵堂が建っています。
なぜ乳房地蔵尊と呼ばれるのか、不明です。



境内からは、東に下る道があり、人家のある場所へ下ることもできます。この境内のあたりが二の丸跡でしょうか。

元の来た道を赤城神社まで戻り、下山します。

こう説明を書いてくると、時間を要したような印象を受けるかもしれませんが、50mそこそこの丘のような山ですので、30分程度の散策でした。

近くに住んでいても、なかなか訪れることもなかったのですが、やはり、山がそこにあると、神社もあり、昔から地域の人々の生活ととも山は存在することを実感しました。

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