日光脇往還 羽生〜館林 - わたらせからの風 近隣の山々
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日光脇往還 羽生〜館林 地図

日光脇往還 羽生〜館林
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日光脇往還 羽生〜館林
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各地から徳川家康の眠る東照宮のある日光へ通じる道は、
日光街道、日光例幣使街道、壬生通り等、数多く存在します。
 
過去に、日光例幣使街道日光裏街道は、この冬のロングウォークでも歩きました。

今回歩く日光脇往還は、千人同心日光道とも呼ばれ、江戸時代に八王子千人同心が日光勤番のために整備した、八王子から日光へ至る40里(約160km)の脇往還の街道です。

中山道から鴻巣宿で分かれ、映画「のぼうの城」で有名な忍城下を通り、利根川を越え、館林城下を抜け、佐野天明宿で日光例幣使街道へ合流します。

館林道とも呼ばれ、館林藩の初代藩主である榊原康政により整備されたといいます。

今回歩くルートは、昨年のコンビニなし、電車なしの日光裏街道と異なり、国道沿い、東武線沿いと、エスケープルートも多い、歩きやすいルートです。ただし、その代わりにクルマの交通量が多いですが・・・
距離 15.9km、標高差 17m、所要時間 4時間(取材日:2016. 1/22 金)

自宅からは、東武伊勢崎線で羽生まで移動。羽生駅がスタートとなります。

今回はナビとして、タブレットNexus7、愛用のGPS内蔵カメラCASIO EX-H20G、そして最近入手したNIKON S9700のGPS3台を持参です。各機のログデータの精度を比較してみる予定です。


羽生駅

9時過ぎに羽生駅に到着。西口に降り、
各ナビの設定と歩きだす準備をします。
天気予報ですと、寒波が来襲しているものの風も収まると思っていたのですが、さにあらず風も吹いていて寒い。しかし、ここまで来てしまったので、歩きだす覚悟を決めます。

羽生といえば、東口に建福寺という寺があり、
そこに下宿していた青年教師を主人公にした小説が田山花袋の「田舎教師」です。一度訪れたことがあります。
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羽生駅

右折

国道122号へ

国道122号へ

駅前を西に歩いてゆくのですが、人がいない。

途中で右折し、羽生病院を左に見て、北上。




10分ほどで国道122号線に出ます。
ここからは、クルマの通行も多い国道沿いに進みます。

秩父鉄道を越える

まもなく緩やかな上り坂で秩父鉄道を越えます。

坂の頂点から、赤城山、足尾の山々、男体山を展望。
山頂部に雲がかかり、寒そうです。

    足尾の山々

    男体山

秩父鉄道を越える

赤城山

天神宮

社殿

三峯神社

秋葉神社

天神宮

羽生駅から、30分ほどの右にコンビニのある交差点を右折し、
天神宮に向かいます。

実は、歩きだしは、とりあえず一休みし、調整したい!



田畑に囲まれた境内の石鳥居の先の長屋造りの社殿の横には、三峯神社や秋葉神社、稲荷神社といった石塔が建ち、しばし休息で、ひとごこちです。

昭和橋へ

国道122号に戻り、これから利根川越えです。
「館林7km」の標識が見えます。

日光脇往還の昔は渡しがありましたが、
今は昭和橋という4車線の大きな橋がかかっています。

昭和橋へ

橋への坂を上る

道の駅はにゅう

道の駅はにゅう

利根川の土手に向かう左手に「道のえき はにゅう」があります。小さな道の駅です。

風も吹いていて、ひなたぼっこの休憩もできません。

川俣関所跡

国道の越えた土手の反対側(西側)に川俣関所跡の石碑が建っています。
川俣関所は、慶長年間から明治2年まであったのですが、
その場所は、今は川の中だそうです。



ここにも傍らに三峯神社の石祠を含み3基の石祠が。









また、利根川の対岸は川俣宿ですが、こちら側は、新郷村、「新郷地区の案内板」があり、史跡を説明しています。

案内板によると、
土手から少し西に行ったところが旧道のようです。

徳川家光が日光へ社参する際に景色を改善するために、忍藩(新郷村は忍藩領)の家臣の勘兵衛に街道脇に松を植えさせたそうです。それが勘兵衛松と呼ばれ、残っているそうです。

川俣関所跡

三峯神社の石祠

旧道を勘兵衛松に向かって

   

昭和橋

川幅の広い利根川

土手から東へ

左に川俣本陣跡

利根川を越える

昭和橋のかかるこの河岸は、昔は、渡しがあり、
"富士見の渡し"と呼ばれていたそうです。

そんな悠長な思いに浸る余裕もなく、西風をまともに受ける橋の上は、つらい。足早に通過しようとするも、川幅の広い利根川にかかる橋は時間がかかります。それも西側の川俣関所跡から、橋の左側(西側)を歩いたので、まともに風が当たります。

さらに渡り終えた後、旧道を歩くために、東側に移動しなくてはならなく、橋上は通過できず、橋桁の下を潜って移動します。







東側には、国道から外れて北に伸びる道がありますが、
クルマは通過できないようクルマ止めが設置されています。








そのクルマ止めのすぐ横にあるのが、川俣旧本陣。
   

粟嶋神社

利根川を越えて旧道に入ると、
左側に新しい石鳥居が建っています。粟嶋神社です。
珍しい名前の神社です。初めて見ました。
日本書紀に起源があるようです。



参道を進むと、さらに石鳥居。竹林に囲まれて、入母屋造りの社殿があります。

その前にある背の高い松があり、途中から鉄柱で支えています。

社殿の脇には、猿田彦大神の石柱、石祠、そして複数の神を祀る社、手前に富士山信仰の小さな丘があり、食行身禄と刻まれた石碑が立っています。
「身禄」といえば、江戸時代の富士講の指導者。
新田次郎の小説「富士に死す」の主人公です。

      鉄柱に支えられた松

    富士講と食行身禄の碑

粟嶋神社石鳥居

さらに石鳥居

粟嶋神社社殿

猿田彦大神

社

   

川俣宿行燈

川俣事件記念碑

 

川俣事件衝突の地

さらに歩いて数分。
道端に川俣宿と記された行燈が立っており、
そばに横長の大きな「川俣事件記念碑」石碑、
その先に「川俣事件衝突の地」石柱と案内板が立っています。

足尾鉱毒事件で農民が政府へ陳情へ向かう際に警官隊と衝突した場所です。

     川俣事件衝突の地

   

長良神社

15分ほど歩き、大佐貫の交差点から、
やや西にそれた道沿いに長良神社があります。
佐貫氏の館跡といいます。

石鳥居の先に大きく水平に枝を張った黒松がその枝を支柱によって支えられています。

明るい境内には、庚申塔群、入母屋造りの社殿、
その左に十一面観音堂。

     長良神社社殿

     十一面観音堂

長良神社

黒松

更新塔群

   

長良神社

長良神社社殿

根本山神社

また長良神社

さらにその先にも長良神社。
こちらは、長屋風の社殿です。















左には、朱鳥居の小さな根本山神社。
こんな場所にもあるのですね。
ここから、根本山まではずいぶんあると思うのですが・・・

ところで長良神社。
あまり見かけないのですが、この地域では、多いとのことです。
上野(群馬)の国主としてこの地を治めた藤原長良を主祭神としているということで、この地に多いということになります。
   
国道122号へ戻る

ここから再び国道122号に戻るのですが、
その前の道端に覆屋の下に小さな地蔵尊と記された石碑が。





国道ともなると、やはりクルマの通行量が多い。
そしてあいかわらず風も強い!

道端の小さな地蔵尊

国道122号

   

館林へ

つつじの里の標柱

館林へ

国道を歩くこと20分。
谷田川を渡り、館林に入ります。
いろいろな看板が立っています。
「つつじの里」と記された弓状の石柱、
「文福茶釜とつつじの町」と記された古びた観光案内板。

    館林の観光案内板

   

茂林寺

そして10分。

歩道橋のある茂林寺前交差点です。
やはり、ここは茂林寺に立ち寄らないと・・・
以前、日光例幣刺街道を歩いた際、太田で呑龍さま(大光院)は寄らないとと思い、寄り道して、結構歩かされたことがありました。今回もそれに近い。ここから、1kmあります。

15分ほど東へ歩き、東武伊勢崎線の踏切を越えると、
道沿いに茂林寺までの道案内の案内板が、
分福茶釜のお話で導いてくれます。





今も門前には、土産物屋等が並んでいますが、
きょうは人影も少ない。









まず門を潜ると、
左右に高さ1.5mくらいのたぬきの置物がずらっと並んでいます。久方ぶりに見ました。過去に一度くらいは来たことがあるでしょうか。
そしてそれは山門まで。





茅葺で塗られた朱の色が薄くなっていますが、立派な山門です。









その先に本堂。
こちらも茅葺で、白い壁を巡らしています。
頭上には、しだれ桜でしょうか、枝を垂らしています。

殆ど参詣客もいない静かな境内です。




そろそろ昼食の時間ですので、
今回は通りにある「もり陣」という店で、
まゆ玉けんちんうどんを食しました。
ちなみに館林は、うどんが有名です。

茂林寺前交差点

茂林寺までの案内

茂林寺門前

左右に並ぶたぬきたち

茂林寺山門

茂林寺本堂

まゆ玉うどんの「もり陣」

   

茂林寺前駅

東武伊勢崎線に沿って

東武伊勢崎線に沿い北上

茂林寺からは、国道まで戻らず東武伊勢崎線沿いに北上します。






茂林寺前駅から、線路沿いです。
   
国道354号の高架をくぐる

10分ほどで国道354号の高架が見えてきて、
下を潜ってゆきます。




途中から、通りにでて、左手の遍照寺へ寄ってみます。

国道354号の高架

遍照寺へ

   

遍照寺山門

聖観音

大日如来

遍照寺

遍照寺は、北関東不動尊霊場十二番の寺です。
山門の前に朱の幟が立っています。





明るく広い境内に聖観音像や大日如来像が立ち、
大きな甍ののびやかな本堂です。

   遍照寺本堂

   
初引稲荷神社

遍照寺から、街中へ入ってゆき、
駅に向かい左折する手前を右へ曲がり、
初引稲荷神社へ寄ります。




家混の中、朱の小さな社殿です。

初引稲荷神社

初引稲荷神社社殿

   

本町2丁目交差点

館林駅

館林駅

あとは、本町2丁目交差点から西へ向かえば、
ほどなく本日のウォークのゴールの館林駅です。

日光脇往還の羽生から館林まで歩きました。
旧街道の趣きもところどころあり、
強い風と気温がなければ、楽しいウォークだったと思います。

さあ、次は館林から佐野天明宿です。

さて冒頭に記した3台のナビの評価は、以下の通りとなりました。Google Nexus7 > CASIO EX-H20G > NIKON S9700
やはり、タブレットのナビが優秀です。

残念なのは、最近入手したNIKON S9700。
ところどころ所在地が飛んでいます。
そしてなによりも欠点は、ナビを起動していると、カメラの電源を切ったときに、液晶画面によけいなメッセージが表示され、実際に電源OFFするまでに時間がかかる。これは致命的です。
ということで、もうしばらくCASIO EX-H20Gにお世話になりましょう。
Google Nexus7 log           CASIO EX-H20G log             NIKON S9700 log
Google Nexus7 log CASIO EX-H20G log NIKON S9700 log
各機で取得したトラックログをGoogle Earthで表示。
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