光明寺
公園の駐車場から、上ってきた舗装路を戻ります。
隣にある光明寺の山門の石段前の多くの庚申塔群があるのに気がつきました。
近辺に立てられていたものを集めたのでしょうか。 |


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御嶽橋、御嶽山
光明寺の先には、用水と道路が横切っています。
左折すると、眼の前に朱塗りの小さな御嶽橋が見えます。
橋を渡った先に鳥居のある石段が山に向かって延びています。
左側は、光明寺の墓地です。その裏山が御嶽山です。
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石段途中の石仏群
何段あるのでしょうか、100段くらい?
石段の途中の右側に多くの石仏、石神が現れます。
まずは、自然石の千手観音、不動明王。
千手観音は、ヒンドゥー教の影響を受けてできた仏教の観音菩薩の変化神。
不動明王は、密教の本尊である大日如来の化身。
そのすぐ上に、やはり自然石の大山祇命(おおやまつみ)。
山、海をつかさどる日本神話に登場する神。
左右のものは文字判読できず。
次は、姿を掘られた千手観音。
右手に髑髏のついた杖を持っています。
権少教正天明霊神と記された、大きな文字碑。
権少教正は、明治期の宗教官吏のこと。
霊能者であった岡本天明を祀った碑でしょうか。
天蓋の下には、朱色に彩色された火炎光背を背負った不動明王。
左に矜迦羅童子(こんがらどうじ)、
右に制叱迦童子(せいたかどうじ)を従えています。
鳥居の下には、御嶽教の教祖を祀った、一心霊神と記された献額のあるコンクリート製の社があります。 |






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御嶽神社
鳥居の先に、やはりコンクリート製の社殿があります。
ここまで10分くらいです。
神様仏様の学習をしながら、登れます。
この神社、建て替えられた、比較的新しいもののようです。
社殿の軒先には、籠を紙垂(しで。神社にある、イナズマ型の白紙)で囲った、酒蔵の酒林のようなものが垂れ下がっています。
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境内の石仏群
境内右の石垣の上には、多くの石仏、石神、石塔。
そして、その上は、岩場が聳えています。
新海霊神の文字碑。
御嶽信仰には、
「死後霊魂は、御嶽御岳に還り、大神のお側にお仕えし、子孫の為に行をする」
という信者の祈願で霊神碑が建立されます。
木曽御嶽の祭神である、姿を形どった御嶽三座神。
中央に座王大権現、左に三笠山刀利天宮、右に八海山大頭羅王。
やはり朱に彩色された光背の不動明王と三十六童子の文字碑。 |



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境内の石仏群
石仏群のさらに上の木立の中に、
密教の仏である、丸い光背の愛染明王。
ここのみ案内板が立ち、「結婚成就」と記されています。 |
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岩場の石仏群
落ち葉で滑りやすい中、聳え立つ岩場に向かって登ってゆくと、
右下に落ち葉に埋もれた、小さな普寛行坐像。
御嶽信仰は、覚明・普寛行者というふたりの行者の布教活動により、全国に普及し御嶽神社が全国各地に建てられました。
そのうちのひとり行者の像です。
大岩の下に、今にも滑り落ちそうな不道明王が置かれています。
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岩場
一気に、ところどころ黒松の生える岩場を乗り越えるのですが、
ルートもなく、冬期は、落ち葉の積る中を登りますので、
滑りますから、気をつけて。
こんなところで滑って落ちて、怪我をしたのでは、笑いものです。 |
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御嶽山山頂
神社から岩場を乗り越えると、10分くらいで御嶽山山頂です。落ち葉の敷き詰められた広場にふたつの石祠が建っています。
千手観音、桐心霊神。
山頂からは、南東方面の展望が拡がります。知っている山、登った山のオンパレードです。
左に、姥穴山が大きく見えます。その隣に城山。
市街地に向かって、突き出るように、雨乞山、浅間山。
そして、八王子丘陵の唐沢山、茶臼山。
右手前には、山頂に向かって遊歩道がついている水道山。
振り向けば、吾妻山が眼の前です。 |


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姥穴山 城山 雨乞山 浅間山 唐沢山 茶臼山 |
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下山
山頂から、北への踏み跡を辿ります。
明るい山道を5分も下ると、
吾妻公園の遊歩道、吾妻山へ向かう道に飛び出します。
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吾妻公園
今回は、吾妻山へは行かず、公園内を散策して駐車場に戻ります。
寒い冬だった今年は、3月の彼岸でようやく水仙が見ごろ。
梅も紅梅と白梅が咲くのも同時になり、
遅い春は、もう少し、といった感じです。
御嶽山は、石仏、石神のオンパレード。
里山に、これだけ多く存在するのは、初めてです。貴重ですね。
なかなか面白い山でした。小一時間で周回できます。
吾妻山への登山ルートに加えても面白いかもしれません。
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