銅街道 大間々〜大原 - わたらせからの風 みどり近辺の山々
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マップ銅街道 大間々〜大原 
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足尾銅山で採掘された銅は、渡良瀬川に沿って、足尾から大間々まで下り、さらに南下し、世良田の南を流れる利根川の平塚河岸から船で運ばれました。
この街道は、「銅(あかがね)街道」、「足尾銅山街道」と呼ばれます。

足尾から大間々までは、過去2007年に渡良瀬川踏破で歩いているので、大間々をスタート地点とし、南に下り、世良田の南の利根川の平塚河岸までを歩きます。

今回は、大間々から大原までの13.4km。距離 13.4km、所要時間 3.45時間(取材日:2012.1/9 月)

スタート地点の大間々までは、JR両毛線、わたらせ渓谷鉄道を乗り継いでゆきます。

       【銅街道スケッチ1】
今年の冬のロングウォ−ク「銅街道」のスタート地点である大間々駅は、わたらせ渓谷鉄道のひと駅です。管理人は、JR両毛線の桐生から、わたらせ渓谷鉄道で大間々駅まで向かいます。 同鉄道の普通車両は、戦後まもなくの電車を髣髴とさせる茶色の電車で、一両で後ろ乗り前降りのワンマンで運転しています。乗車賃は、社内にバスのような運賃箱もあるのですが、殆ど駅で清算です。
桐生から、筆者のほかに20代後半と思しき女性のふたり連れのみ。
運転手に水沼までの行き方を尋ね、車内に置かれている観光パンフレットを貰い眺めていました。
朝、まだ早いので、温泉でもないものを、と思ってしまいます。 結局彼女らは、大間々で下車。管理人も計画に則って下車。改札口で、なんと小平の鍾乳洞までの歩き方を聞いています。それは、無謀ですね。やはり行き当たりばったりで地方の観光をすると、時間ロスが大きく、それに懲りて、また足が遠のく結果になるのではないでしょうか。
大間々には、「赤城山」の名前の酒が有名な近藤酒造のほかに、奥村酒造があります。以前大間々のまちなかを歩いたときに求めたいと思っていたのですが、閉店していて適いませんでした。この日も10時前なので、まだ開店していないかと思いながら、ガラス戸をひくと、幸運にも開きました。店にはいると、主人(まだ40代くらいでしょうか)が現れました。以前閉店していたこと、最近は日曜は開けるようにしていることから話始め、純米酒の銘柄を尋ね、「起龍」という銘柄の日本酒と「お風呂にいれる酒」を入手しました。それらをザックに押し込みながら、後者の酒は呑めるか等々、よもやま話です。これも楽しい、ロングウォーク。
ただし、今回それ以降、あまり人と会わない歩きでした。次回に期待です。


大間々 大間々駅

この冬は、寒い日が多く、朝遅く出発したため、
大間々駅に着いたのは、9時40分ころでした。

それにしても休日の朝の駅には、ほとんど人気がありませんでした。淋しい・・・

銅街道は、足尾から渡良瀬川に沿って下り、大間々で東に曲がってゆく渡良瀬川から離れ、桐原地区の手振山の西側を真っ直ぐに進んでゆきます。
今回は、大間々駅から、まちなかを通り、南下します。
駅前には、新しい案内地図板「大間々街歩きmap」が立っていました。
まちのあちらこちらにありますので、歩く人には、心強い見方でしょう。
また、大間々の"間々"が河岸段丘のことであることが記されていました。確かに、この町は渡良瀬川の河岸段丘にあります。

大間々駅

大間々街歩きmap

道路元標

大間々町道路元標

大間々駅から駅前の通りを渡り、西の山腹を目指します。
さらにもうひとつ通りを渡り、
コノドント館の手前の交差点から、西に向かいます。
その交差点の前の歩道に道路元標が立っています。

稲荷神社

西に向かう道は、大間々高校へ向かって、坂を上ってゆきます。
右手に白塀のある道の先は、T字路となっており、
左折すると、稲荷神社です。
駅から15分くらい。
T字路の右の人家の屋根越しに手振山が見えます。

 銅(あかがね)のみち 遠く 手振山 険し






世音寺の手前の道路沿いに石祠の熊野神社と道陸神の文字碑。実は、道陸神は道祖神のことなのですが、こう表記されているのは、この地域では珍しい。









その一段高みに稲荷神社があり、
庚申塔、二十三夜塔が立っています。
このあたりを銅街道は、通っていたのでしょうね。

白塀

手振山

熊野神社

稲荷神社

世音寺

六地蔵

二十三夜塔

世音寺

その隣りに世音寺。






山門前に、赤い帽子と前掛けをした六地蔵が白塀を背に並んでいます。









また横には、二十三夜塔が。

桐原郷蔵

さらに隣りに茶色の郷蔵が残っています。
郷蔵は、凶作に備え穀物を保存していた蔵です。
享保の飢饉後に徳川幕府が奨励し造られたものです。
銅街道の大間々から北には、銅蔵もいくつか見られました。


 郷蔵に 残る歴史 冬陽の移ろい

同じ道を戻るのですが、
坂を下りながら、家々の屋根のかなたに高津戸峡のそばの要害山が見えます。






通りに出て、コノドント館の北隣には、
軒先に杉玉をぶら下がる奥村酒造があります。
「起龍」という名の純米酒を購入してみました。
どのような味か、楽しみです。
また、「おふろにいれる酒」というのもあり、そちらも。

郷蔵

要害山

奥村酒造

   

常夜燈 四丁目

常夜燈 五丁目

常夜燈

通りに戻り、南に歩いてゆくと途中、
ふたつほど常夜燈(4丁目、5丁目)が残されています。

大間々の 宿の史跡に こころあり

東武桐生線 赤城駅

30分くらい歩き、線路が見えてきます。
東武桐生線の終点 赤城駅です。
ここから特急りょうもう号が浅草に向かい、発車します。

駅前のロータリーにベンチがあるので、ここで休憩です。
きょうは、比較的穏やかな日なので、ひとごこちつくことができました。

赤城駅
分岐

分岐

線路を渡ると、数分で、道は二手に分かれます。
右の道を進みます。

石塔

道の右、畑の隅に庚申塔と笠を被った石塔が立っています。
古くて何の石塔なのか?建立年など読み取れません。

石塔
道帰り山

道帰り山

このあたりまで来ると、
右前方に見覚えのある道帰り山が見えてきます。

子育て庚申、子供嫌いな庚申様

交差点の右に子育て庚申、
次の交差点の右の人家の塀の中に子供嫌いな庚申様。
このあたりは、道帰り山で歩いた道です。

子育て庚申

子供嫌いな庚申様

鹿田山

琴平山

鹿田山、琴平山

続いて、右に鹿田山です。





さらに歩いて、岩宿遺跡のそばの琴平山
岩宿の山々が次々と登場です。

 岩宿の山々 懐かしく 冬陽浴び

笠懸 鹿

赤城駅から、40分くらい歩いたでしょうか、
JAにったみどりが左に見えてきました。






道路の反対側に墓地があり、
その参道に多くの石仏が並んでいます。
墓地、参道の周りは畑ですので、懐かしいような風景です。






また、JAの敷地の南の十字路の左右にも
庚申塔、道祖神が並んでいます。

JAにったみどり

参道の石仏

JA西側の庚申塔

JA東側の庚申塔

国道50号

国道50号

JAの先は、赤城山などの西の山へ向かうときに、
いつも通っている国道50号線の鹿の交差点です。

かどや公園

夜交差点を過ぎると、
右手に何やら公園跡のような場所があります。

入口は、屋敷門のようなかたちで公園の入口の趣です。
荒れた広い敷地に植えてある木々に名板が下がっていました。

石柱が立っており、「帝国飛行協会桐生支部」の文字が読めました。
後で調べると、旧陸軍の飛行場が近辺にいくつかあったようです。

ここは、火鉢博物館だった場所で、石柱を保存しているとのことです。

いずれにしろ、ここで休憩です。
スタートしてから、2時間歩いています。
休憩適地は、神社なのですが、思いのほか、少なく、休憩場所がない。

かどや公園

公園内

庚申塔

庚申塔

左の人家の塀沿いにいくつかの庚申塔。

JR両毛線

JR両毛線の線路が現れ、
場違いな装いのホテルの先にある踏み切りを越えた左側の畑が、岡登用水を開削した岡上景能の陣屋跡です。南北320m、東西190mとなかなか広かったのですが、いまは畑となっており、その面影はありません。

JR両毛線踏切

岡上景能陣屋跡

道祖神

庚申塔

笠懸 久宮(くぐう)

左の塀のそばに、天保8年建立の小さな、角柱の道標のような道祖神、反対側に自然石の庚申塔。

庚申塔、二十三夜塔

交差点の信号機の下に庚申塔、
二十三夜塔が肩を寄せて並んでいます。

庚申塔、二十三夜塔

国瑞寺 臥龍庵

国瑞寺 臥龍庵

道路の右、広い敷地の寺院らしきものが見えます。
建物に近づいてみると、国瑞寺臥龍庵の正月飾りが下がっています。
岩宿の琴平山近くの黄檗宗国瑞寺(岡上景能の墓がある)の末寺だそうです。

大原(おおばら) 秋葉神社

さらに10分ほどで、
今は太田市となった大原に入り、左側に秋葉神社です。
小さな社と小さな境内に、天明6年の石祠、享和2年の常夜燈。

秋葉神社

大原寺

双体道祖神

大原寺

数分の歩きで大原寺(だいげんじ)です。
ここも以前、「道祖神と出会う 渡良瀬川篇 その2」で紹介しています。




人家に接した参道に多くの塔類と双体道祖神が並んでします。一年ぶりの再会です。

 道祖神 ひと歳経ちて 見守る眼

道標 あづま道しるべ

大原寺から5分ほどの交差点の角に、
あづま道しるべが小さな公園の中にあります。
しかし、実はレプリカのようです。

「東 天保四年癸巳初秋建 在〃 上州新田大原驛
 西 あづま道 産泰山 大胡 伊勢崎 前橋 伊香保 草津
 南 江戸道 太田 木崎 足利
 北 日光道 足尾銅山 桐生 大間々 赤城山」


 

あずま道しるべ

あずま道しるべ

岡登霊神社入口

境内

社殿

岡登霊神社

さらに10分ほどで、岡上景能を祀った神社 岡登霊神社があります。
地区の発展に寄与した彼に神号「顕信霊神」が下付され、神社建立をしました。
社殿は、木々に囲まれた薄暗い境内の奥にあります。
滑り台なども設置されているのですが、どうもあまり人は訪れないようです。しかし、なかなか立派な神社でした。

 ひともなく かぜもなく 椿のみ紅し

今回は、ここをゴールとし、
神社手前の交差点を東に2kmほど歩き、
東武伊勢崎線の藪塚駅まで歩きました。
駅に着いたのは、13時30分。まだ日差しのぬくもりがあり、電車待ちの時間、ベンチで過ごせました。

この2kmの距離のロスを次回どのようにするか、課題になってしまいました。
岡登霊神社をスタート地点とするためには、藪塚駅から2kmを歩かなければならない。
いずれにしろ次回の交通手段は考えるとして、今回は、ここまで。
神社が少なく、庚申塔の多い道でした。

 
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